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ヤマハの技術を投入したトヨタの名機「2T-G」を搭載したクルマとは? モータースポーツでも大活躍

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

セリカ/カリーナでデビューしレビン/トレノで主力に

 2T-Gエンジンを搭載するメインロードとなったレビン/トレノの各モデルについて、個別に紹介していきましょう。まずは1972年の3月に登場した初代のレビン/トレノから。このときは両車ともにTE27の型式で、その概略は2T-Gエンジンをカローラ/スプリンターの2ドアクーペに搭載し、サスペンションも基本レイアウトはベースと同じでしたが、パワーアップに対応してスプリングやダンパーが強化されていました。

 レビンとトレノの関係でいうなら、基本的には同じエンジンを基本的には同じボディ/シャシーに搭載し、グリルやランプ類などの意匠を少し差別化した兄弟車(双子車)でした。しかし1974年の4月、カローラ/スプリンターとして2度目の、レビン/トレノとしては初のフルモデルチェンジによってレビンとトレノの“兄弟関係”に変化が生じることになりました。

 初代モデルではカローラ/スプリンターの2ドアクーペをベースにしていましたが、新たに登場した2代目ではレビンがカローラの2ドアハードトップがベースで、一方のトレノはスプリンターの2ドアクーペがベースとなり、パッケージが別物、シャシーは基本的に共通……となりました。ただし2T-G/2T-GR型エンジンが昭和50年排出ガス規制をクリアできず、7カ月後には生産中止となってしまいました。トヨタ・スプリンタートレノ

 しかし、キャブレターから電子制御式燃料噴射システム(EFI)にコンバートし酸化触媒を追加することで、昭和51年排出ガス規制をクリアした2T-GEU型エンジンが完成。生産中止から1年余り経った1977年1月のマイナーチェンジに合わせて、二代目後期モデルとされるレビン/トレノが再登場しました。

 レビンは前期モデルのTE37からTE51/TE55へと型式名が変更され、トレノもTE47からTE61/TE65へと変更されています。またレビン/トレノを名乗ってはいませんが、カローラ/スプリンターの両シリーズに3ドアステーションワゴンとでもいうべきリフトバック(LB)に2T-GEUエンジンを搭載したLB1600GTが登場したのも大きなエポックでした。

 そして1979年3月のフルモデルチェンジで、カローラ/スプリンターはE70系に移行しレビン/トレノもTE71に移行。リヤにハッチゲートを持ったクーペがベースでしたが、4ドアセダンとLBにも2T-GEUを搭載した1600GTがラインアップされていました。そしてこのTE71系を最後に、2T-G系は姿を消すことになるのです。

モータースポーツでも活躍

 最後になりましたがモータースポーツでの活躍についても紹介しておきましょう。TE27からTE71まで各世代のレビン/トレノは内外のモータースポーツで活躍。国内レースにおいてはトヨタのワークスチームがTE27時代のレビン/トレノで参戦し、耐久レースなどで猛威を奮っていました。

 またラリーにおいては多数派を占めるトップコンペティターであり続けていました。一方海外ラリーでは、スポーツオプションの4バルブヘッドを組み込んだグループ4仕様が大活躍。現在に続くトヨタのWRC活動の先駆けとなっていました。またこれは純然たる2T-Gではないのですが、2T-Gエンジンをベースにイタリアのノヴァモーター社がF3エンジンを製作。1970年代後半には世界的にも圧倒的な多数派を占めるまでになっていました。

 1979年から始まった国内のF3レースは、ホイールメーカーのハヤシがスポンサーとなってノヴァ-トヨタ2T-Gエンジンをまとめて購入。それを希望する参加者にレンタルすることでエントリーを集めて発足した、という経緯があり、2T-Gの存在が国内のF3ヒストリーを立ち上げることになったと言っても決して過言ではないでしょう。やはり2T-Gは傑作です。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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