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10年で計11台の「GT-R」を手に入れた! 日産エースドライバー松田次生の「Rライフ」に迫る

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TEXT: GT-R Magazine 野田航也  PHOTO: 大西 靖/小林 健/GTA

365日Rで闘いRに癒やされる日々を送った男

『日産NISMO』ワークスのエースドライバーとして不動の地位を築いている松田次生選手。スーパーGT GT500クラスではGT-Rを駆ってシリーズタイトルを2度制覇した経験を持つ。また、プライベートでは全世代のRを所有するという、自他共に認める「Rマニア」であることも有名だ。そこでGT-Rと松田選手の深い繋がりについて迫ってみたい。

(初出:GT-R Magazine157号 2021年2月1日発売号の記事を再編集しました)

ミニカー好きの少年がトップドライバーに上り詰める

 ミニカーが好きになったことがきっかけで、物心ついたころから車名が言えないクルマはほとんどなかった。中でもスポーツカーには目がない子供だったという松田次生選手。中学2年でカートを始めたことがきっかけで平成9(1997)年に鈴鹿レーシングスクール(SRS-F)に入校する。実力が認められ、スカラシップを獲得した後、全日本F3選手権、フォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)と順調にステップアップを重ね、2000年には全日本GT選手権(現スーパーGT)に「綜警マクラーレンGTR」でGT500にスポット参戦。翌2001年からはフォーミュラ・ニッポンでも所属していたNAKAJIMAレーシングから「Mobil1 NSX」でフル参戦を開始した。

「あのころはホンダの契約ドライバーだったこともあり、マイカーとしてシビックやインテグラ・タイプRに乗っていました。当時、カート時代からの知り合いがミッドナイトパープルのR33GT-Rに乗っていたのですが、じつはとても羨ましく思っていました。小学生のころグループAのレースをよく見ていて、星野一義さんがドライブするカルソニックスカイラインの走りに衝撃を受けたんです。それ以来、自分にとってGT-Rはずっと憧れのクルマでした」

 そんな松田選手に大きな転機が訪れたのが2006年。フォーミュラ・ニッポンは闘将・星野一義が監督を務める「チーム・インパル」に、スーパーGTは「NISMO」にそれぞれ移籍することとなったのである。そして、日産移籍2年目の2007年にはフォーミュラ・ニッポンで初のドライバーズタイトルを獲得。翌2008年も連覇を果たし、同年からはGTもチーム・インパルへと移籍した。

日産へ移籍しGT-Rと出会った人生の転換期

「2007年まではフェアレディZでしたが、2008年はR35がGT500クラスにデビューする年でした。日産系チームには『GT-Rの初年度は何としてもチャンピオンを獲る』という強いプレッシャーもありました。そのタイミングで憧れだったカルソニックカラーのGT-Rに自分が乗るということで、何か不思議な縁のようなものを感じましたね」

 R35のデビューイヤーはNISMOチームが戴冠。松田選手は2013年までインパルに所属したのだが、その間に決定的な出来事があった。2011年にマイカーとしてBCNR33を購入。人生で初のGT-Rを手にしたのだ。

「たまたまインターネットで見つけた個体で、埼玉県の店舗まで現車を見に行きました。当時、日産に所属していた先輩の荒 聖治さんもGT-Rに乗っていて、いろいろとアドバイスをもらっていたんです。走行16万kmとそれなりに距離は走っていたものの、いろいろとチューニングが施されているのに価格が手頃だったこともあって即決しました」

 日産に移籍してからはムラーノやZ33フェアレディZ、S15シルビアなどに乗っていたが、ついにGT-Rが松田選手のマイカーになった。GT-R Magazineでも連載企画をスタートし、マイナートラブルを乗り越えながら徐々に自分好みの仕様へとモディファイしていく過程を誌面で紹介した。今思えばあのころの松田選手はまだGT-Rビギナーで、ちょっと初々しくもあった。あれから10年。R35GT-R NISMO MY20も所有する現在の松田選手には、どこか貫禄すら漂っている。

「あのときにR33を買ったことがきっかけで、とにかくGT-Rのことをもっと知りたいという気持ちが芽生えました。いろいろと仕様を変更しながらプライベートでサーキットも走りましたし、HKSさんとコラボでサスペンションを開発するなど、貴重な経験もできました。自分にとっては、GT-Rライフの原点と言える一台ですね」

GT-Rに対する探求心で第2世代Rをコンプリート

 2011年にR33を購入したことが契機となり、松田選手は凄まじい勢いでGT-Rにのめり込んで行った。同年、NISMO S-tuneコンプリート仕様の白いR34GT-R V-specを購入。ほどなくしてベイサイドブルーのR34GT-R V-specも手に入れ、早くも3台体制に。

「白のS-tune仕様は程度も素晴らしく、とても良いクルマだったのですが、昔からベイサイドブルーのR34に憧れていたこともあり、いい出物があったので思わず買ってしまいました」

 そして、2012年にはかつてNISMOが新車のコンプリートカーとして販売したR33GT-Rベースの「NISMO 400R」を手に入れる。

「メーカー直系のNISMOがR33をベースに作り込んだコンプリートカーはいったいどんな乗り味なのか。R33オーナーとして気になりましたし、ユーズドベースのS-tuneコンプリートと比べてどうなんだろう。知りたい気持ちがもう抑えられなくなってしまって(笑)」

 居ても立ってもいられなくなり、山口県まで足を伸ばし、実車を見た上で400Rの購入を決めたという。こうなると松田選手の「知りたい気持ち」はもう止まらない。2014年にはR32GT-Rを購入。最初に買った赤のR33とベイサイドブルーのR34はチューニングが施された仕様であり、400RはNISMOが作り上げたコンプリートカー。R32を手に入れて第2世代Rをコンプリートしたいという気持ちに加え、次は「ノーマルのGT-R」を知りたくなったという。

「フルノーマルではなかったのですが、ブーストアップ程度にとどめられており、ホイールなどをNISMOパーツでまとめた前期型を見つけました。この年はインパルからNISMOに戻った初年度でGT500で初めてチャンピオンを獲ったこともあり、自分へのご褒美という意味合いも込めて買いました」と松田選手。向かった先は、大阪の中古車販売店。東京から新幹線で移動し、新大阪駅でレンタカーを借りて店舗に訪れたという。

「必ず自分の目で確かめないと気が済まないんです。どんなに遠くても、時間が取れれば見に行ってしまいますね(笑)」

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