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幻の2代目「クアトロポルテ」は生産台数わずか13台! 60周年のマセラティ高級サルーンを振り返ろう【前編】

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: Maserati S.p.A.

マセラティを代表する上質サルーンが60周年

この2023年も、自動車史上に冠たる名作、あるいはエンスージアストの記憶に残るクルマたちが、記念すべき節目の年を迎えることになる。近年では、とくに長い歴史を誇るブランドは「〇〇周年」のアニバーサリーイヤーをメーカーや愛好家グループによって大々的に祝賀する事例が多くなっているようだが、AMWでも偉大な名車たちに想いを馳せつつ、それぞれのモデルヒストリーを辿ることにした。

今回は、初代のデビューから60周年を迎えるマセラティ「クアトロポルテ」の6代にわたる全モデルのうち、初期の3世代をご紹介させていただくことにしよう。

初代(1963~69年) 4ドアスーパーカー伝説のはじまり

「クアトロポルテ(Quattro Porte)」とは、イタリア語で4ドアのこと。この名を初めて冠した初代は、1963年の発表当時には4ドアセダンとしては世界最速をうたった。

もとはといえば、マセラティ社をマセラティ兄弟から継承したオルシ家当主にして、家族を愛するファミリーマンでもあったオメール・オルシが、自らの家族と乗ることのできるマセラティを求めて開発を命じたともいわれ、同時代のマセラティ製市販グラントゥリズモ、3500/3700/4000GTシリーズの4ドア版であることを示すように、デビュー当初は「4000GTクアトロポルテ」を名乗った。

ただしエンジンは2ドア版GTたちの直列6気筒DOHCではなく、V型8気筒の4カムシャフト。1950年代末以来のレーシングスポーツ「450S」、あるいはごく少数のみ製作された超弩級スーパースポーツ「5000GT」用エンジンをベースに4.2Lまで縮小したもので、ウェーバー社製キャブレターの小径化、気筒あたりシングルプラグ化などによって260psまでデチューン。最高速度は231km/hに達成するとした。

つまりは生粋のレーシングエンジンを搭載したビッグセダン、4ドアのスーパースポーツとして開発されたことになる。

そしてイタリア製スーパースポーツの要であるボディデザインは「A6G/54」や「3700GTミストラル」でも実績のあるスタイリスト、ピエトロ・フルアに委ねられ、スタイリッシュかつ豪奢なスタイリングが実現。2代目や5代目のクアトロポルテにも大きな影響を与えることになる。

さらに1966年には290psにパワーアップし、240km/hの最高速度を標榜する4.7L版が追加。1970年一杯でラインナップを去るまでに、679台が生産されたといわれている。

2代目(1974~78年) 不発に終わった4ドア版シトロエンSM

1968年をもってマセラティの親会社となったシトロエンは、マセラティの開発・生産によるV型6気筒4カムシャフトのエンジンを、同社の最高級グランドツーリングカーとなる「SM」に搭載。そのエンジンやコンポーネンツを丸ごとごっそり流用して、マセラティでは欠番となっていたクアトロポルテのニューモデルを開発することになった。

シャシーはシトロエンSMのプラットフォームを流用し、ホイールベースを17cm延長したもの。前輪駆動のレイアウトやハイドロニューマティックのサスペンション/ブレーキシステムもSMからそのままコンバートした、いわば4ドアのSMだった。

ボディはカロッツェリア・ベルトーネに委ねられ、同社チーフスタイリストのマルチェッロ・ガンディーニのデザインによるもので、グラスエリアを大きくとった先鋭的なスタイリングとされた。

このクアトロポルテIIでは、まず50台を試験的に販売し、のちによりパワフルなV8エンジンの投入をする計画もあったという。ところが、全長5130mmという初代よりもさらに大型のボディに、最大でも3LのV6エンジンではアンダーパワーに過ぎ、しかも前輪駆動というのは当時の高級車マーケットにはとうてい受け入れられないとの理由もあって、プロジェクトはとん挫。

1975年にプジョー傘下となったシトロエンはマセラティとの関係を断ち、新たな親会社となったデ・トマソ・グループの意向によって、クアトロポルテIIプロジェクト自体がキャンセルとなり、わずか13台が製作された段階で終了となってしまった。

ちなみにこの13台のプロトティーポたちは、型式認定を必要としない中東やスペインに輸出されたのち、一部の個体を除いて行方が分からなくなっているようだが、筆者が2014年のイタリア・パドヴァで開催されたクラシックカーショー「アウト・エ・モト・レトロ」で遭遇したのは、おそらくは行方不明だったうちの1台と思われる。

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