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ランチア「ミザール」をトリノで試乗! なぜミケロッティのコンセプトカーを取材できたのか? きっかけは中目黒の喫茶店【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁

ワンオフのショーカーは派手目で美しい仕上だった

モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第7回目はランチア「ミザール」との出会いを振り返ってもらいました。

喫茶店で出会った男性が所有していたコンセプトカー

たしか話は1979年のこと。夜に足蹴く通っていた喫茶店が中目黒にあった。夜になるとちょっとしたバー的な雰囲気に姿を変える。足蹴く通った理由はメニューにはなかった賄いのご飯が頂けること。クルマで行っていたので飲めなかったが、カウンターにはいつも常連がいて、飲んでいた。

そのうちのひとりの男性とよく話すようになった、聞けばウシオ電機というところに勤めていると。そしてある日、僕がモータージャーナリストであると知ったうえで、こう話してくれた。

「じつはうちでミケロッティのコンセプトカー買ったんですよ。良ければ取材に行きませんか?」

このひと言に飛びつかないはずはない。すぐに段取りをしてイタリアのトリノを目指すことにした。

当時のミケロッティには日本人デザイナーの内田盾男氏がいた。そんなわけだから段取りもすんなりと進み、取材OKと相成ったのである。とはいえ、現地でどの程度取材できるかは全く不明。まさに行き当たりばったりだったと記憶する。

ところがそんな不安とは裏腹に、先方は大歓迎してくれた。流石にコンセプトカーを2台も買ってくれたクライアントからの頼みとあれば、ある意味では当然だったかもしれない。こちらとしては良い背景で写真が撮れて、少し話を聞ければ……程度に考えていたのだが、なんと御大のジォヴァンニ・ミケロッティ氏自身が作成した仮ナンバーの交付書が渡された。

「これを持っていればどこにでも行けるから、良いところで撮影してきなさい」と。そしてクルマを用意してくれた。それが「ミザール」と呼ばれたクルマである。

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