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「できる・できひん」じゃなくて「するか・せえへんか」ユーザーが満足すればいつか返ってくる【TONE株式会社代表取締役社長 矢野大司郎氏:TOP interview】

「できる・できひん」じゃなくて「するか・せえへんか」ユーザーが満足すればいつか返ってくる【TONE株式会社代表取締役社長 矢野大司郎氏:TOP interview】

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TEXT: AMW 西山嘉彦(NISHIYAMA Yoshihiko)  PHOTO: 横澤靖宏

  • TONEは建築現場や工場などで使う電動工具で発展してきた経緯がある
  • 矢野大司郎氏が最初に自らの設計で製品化されたのは、小型軽量のシヤーレンチであった
  • 食品機器、医療、クリーンルーム、精密機械、船舶、マリンスポーツ、海洋開発、プラント、防水工事、水道工事、清掃用機器、その他ステンレスボルト・ナットを使用する箇所に最適なステンレスツールセット
  • 握りやすい形状と材料に木粉・プラスチックの複合材料を使用し、滑りにくいグリップの「スベラン」シリーズ
  • 自由度の高い社風だったから、仕事に専念することができたという
  • 人間はやったらできる、という矢野大司郎氏
  • プレセット形トルクレンチ
  • プレセット形トルクレンチのトルク表示部
  • ハンディデジトルク
  • ラチェットデジトルク
  • エアインパクトレンチ
  • 手動式のタイヤレンチ
  • 手動式タイヤレンチの使用例
  • 電動タイヤレンチ(ストレートタイプ)
  • 電動タイヤレンチ(ピストルタイプ)
  • コードレスシヤーレンチ
  • コードレス電動タイヤレンチ
  • トルク表示機能付きコードレス電動レンチ
  • トルク表示機能付きコードレス電動レンチ
  • トルク表示機能付きコードレス電動レンチ
  • トヨタ「セリカカムリ」
  • TONEがサポートしているスーパーGT300クラスのTeam LeMans
  • 初ドライブの記憶はトラックばかりという矢野大司郎氏
  • 図面など引いたことがなかったという矢野大司郎氏だが、配属されたのは電動工具の開発であった
  • 技術職でも現場の声を聞くべく、積極的に外に出るべきだという矢野大司郎氏
  • TONEのブランドをもっと広く知ってもらうために、モータースポーツの分野へ

TONEは自動車関連だけでなく、重工業分野、航空、鉄道プラント、鉄骨建築さらにはDIYまで

「TONE」は、AMW読者には馴染みのある四文字であるだろう。スーパー耐久、スーパーGT、鈴鹿8耐など、四輪・二輪問わず「TONE」のロゴを見かけるはずだ。ちなみに読み方は「トネ」。社名は利根川に由来している。大阪創業の企業なのにどうして関東の河川の名前が由来なのかは後述するとして、今回のTOP INTERVIEWは、TONE株式会社の代表取締役社長である矢野大司郎氏だ。製造部門で入社してその部長を務め、その後営業部門の部長も経験した異色の経歴の持ち主である。

矢野大司郎氏のクルマの原風景

このインタビューではまず最初に「クルマの原風景」から尋ねることにしているが、矢野氏の場合は、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のワンシーンのような、昭和ノスタルジーなエピソードから始まった。

「今は時効や思うから話しますけど、1番最初にクルマを運転したんは、小学生ぐらいやと思います。うち、家業が運送業してたんですよ。それもあって小さい頃から結構クルマが好きで。で、うちの運転手が荷物を運んでいくという時に、『ぼくも乗っていくー』言うて、横に乗って連れて行ってもろたことがありますわ。

ある日、運転席の横に乗っとるだけやなく、運転したくなったんですね。で、『ちょっと運転させてくれー』とお願いしたことがあったんです。そしたらうちの駐車場で、足は届けへんので『ハンドルだけ持たせたる』言うて、運転手がペダル操作してくれて、クルマを動かしたんが初めてですわ。4トンだったか3トンだったか、三菱のジュピターというトラックでしたわ。

実際に免許取ったときに、1番最初に乗ったのもトラックなんですわ。免許証取れたばっかりの時に、運転手が休みだったかなんかだったと思うんですよ。それで『ちょっと運転してきてくれ』と言われて、荷物を運んだ記憶があります、免許取り立てでいきなり。だからガックーンとエンストして(笑)。ふそうの4トンのトラックやったですけど、なかなかギアが入らへんのですよ。『(クラッチを)2回踏むんや』とかなんとか言われて。今思うと、うちの親父、免許取り立ての私をよう行かせよったなぁ、と。それで岡山かどっかの市場にブドウを持っていきましたわ。最初にクルマを運転したという記憶は、トラックばかりですわ。

そんで乗用車はというと、家にあったコロナ マークII 1900 ハードトップGSSです。ルーフにレザーみたいなんを張ったやつです。その親父のクルマに乗っててよく言われたんが、『俺はガソリン入れる係か』と。ガソリン入れたら私が乗って行って、空になったら返してという……。

それからあとに乗ったのは、軽自動車のアルト。その頃はもうTONEに勤めてて、よう帰りにおじさんとこに寄って帰ってたんです。そしたら『暇やったらちょっとうちの息子の勉強見てくれへんか』言うて、それでちょこちょこ甥の勉強を見とって。そしたら『しょっちゅう来るの大変やからクルマ買うたるわ』って。これがアルトやったんです。で、それは割と乗ってたんですけど、アルトの思い出言うたら、パンクをようしとったんですわ。むかしね、道も悪かったんで。で、タイヤ交換はしょっちゅう。1日に2回パンクしたこともあります。会社に行く時と帰りとで。パンクしてスペアに替えて、スタンドにパンクしたタイヤ入れといて、帰りにスタンド寄って、スペアを外して……。そしたらまた帰りにパンクして。だから、タイヤ交換は抜群に早かったですわ(笑)。

あと、クルマの思い出言うたら、セリカカムリで島根県に行った時のことですかね。走ってたらビューッと水温が上がってきたんです。会社のメンバーと行っとったときで、『あれ、水温計が上がってきたわー』言うたら、『よう、そんなん見てんなあ』と言われて。『いやいや、ここに水温計ついてんねんから見るでしょ』言うて。で、ガソリンスタンドに入れて診てもろうたら、『水漏れてるわ』言われて。どうしてもその日に鳥取行かなあかん用事があったんで、ペットボトルに水入れて、水温が上がり出したら停車して、ラジエターに水を足しながらの繰り返しで、そんで鳥取まで行きましたわ。帰りもそれをしながら帰って、『直しに行かなあかんなあ』と思いながら車庫に置いとったら、翌朝には水が全部抜けとって、危ないとこやったなぁと。セリカカムリは12〜13年乗っとったんですけど、エンジンは本当に調子良かったんですよ。それで非常に愛着あって。セリカカムリを手放す時は、ドナドナの歌の気分になってもうてね。連れて行かれたなぁ、潰されんのやろうか、可哀想やなぁ、と。1台のクルマを結構長い間乗るんで、クルマに対して愛着が湧く性格なんでしょうね」

若手でも企画を出せる自由な風土

パンクした際のタイヤ交換では純正の車載工具を使っていたそうで、とくに工具にこだわっていたというエピソードは残念ながらない。そもそも矢野氏は自動車整備に使う工具ではなく、電動工具の設計でTONEに入社。学生時代には材料系が専門だったので、熱処理関係でTONEで役に立ちたいと思っていたそうだ。まったく図面など引いたことのない矢野氏は、いかにして電動工具の新製品を生み出していったのだろうか。

「新人で4月に入社して一月ぐらい現場に入って、5月から図面書き出したんです。その時、先輩がやっている製品の耐久試験をかけるのを担当したりしました。その時から絶えず、自分やったらこういうふうにやるかなーとか、いつも考えてました。30歳過ぎた頃、うちのメインのシヤーレンチというのがあるんですけど、それを自分で設計して、その時の事業部長に『こんなんできますわ』、と提案したんです。重量もこんだけ軽くなるし、外径も小さいし、全長も短いし、スピードも今の回転よりも25回転早くなるし、完全に業界トップになるようなスペックを出したら、『それ面白いな、やってくれ』って言われて。

その時、電子イジェクターというのを初めて採用したんです。社内の耐久試験もクリアして、素材もチタンやマグネシウムなどいろいろ試してみたんです。製品自体は結構良かったんですけど、販売したら燃えるという話になったんですよ。なんでかなー思うたら、調べていくと、社内だと商用電源で試験してるんですね。現場では発電機でやってるんで、電気の流れが乱れたようなやつになるんで、それが悪さをして、燃えたりしたんです。

それで電子式を、もういっぺん、バネ式に変えなあかんと。その時に1000台ぐらい回収しました。帰ってきたやつを自分で修理しながら、図面描かなあかんし、そりゃもう、大変でした。それでもある程度形ができて、マグナムシヤーレンチというんですけど、それが結構ベストセラーになりました。その当時楽しかったんが、割と何でもかんでもやらしてくれたんです、勝手に。そんな自由度の高い社風やったから任せてもろうて、できたんでしょうね」

一緒にものづくりをすることがポイント

「あとね、外注先の社長さんのとこに行ってね、夢を語るんですよ。仕事を依頼したときに『そんなんできへん』言われたら夢を語るんです、その製品の将来性について熱う語るんです。そして『一緒に作りましょー!』って。そしたら、『よっしゃ、やろうー』と。で、今までだったら2週間から3週間は最低でもかかるのに、1日、2日で作ってくれました。

たとえば、ある時ボルトを締める試作機を携えて、ゼネコンさんの技術の人に渡したら、『こんなんあかん、こんな重いのはアカン、使いもんにならん』言われて。そこで、『一回現場に行かせてください、現場だけ見たいんで。この試作機持って現場行っていいですか?』とお願いしたんです。そしたら『一緒についてったるわ』と一緒に現場に連れて行ってもろうて。そこで現場の人に渡したら、『お、これ軽いなぁ』と。技術職には重うても現場の人にとっては軽い。さっそく現場の人に使ってもろうたら、『にいちゃん、これだめ、全然締まってへんやん』と。『え、今ので締まりましたよ』って言うたら、『なに言うてんねん、こんな一瞬で締まるわけないやろ』と。それでトルクレンチで確認してもろうたら、『これ締まってるやん、便利やなぁ、これ置いていけえ』言われて。みんなに使わせてみるということで、試作機ですけど2台置いていったんですよ。

そしたら、一週間くらい後に電話があって、『壊れてしもうたから大変なことになって、現場の人間があれなかったら仕事にならへんってうるさいから、はよう直してくれ』と。その試作機がないともう仕事にならないからと、2、3日で修理をお願いされて、そんなときに夢を語って、特急で作ってもろうて、あらためて納品して。こういうことの繰り返しを何回かしとって。

でもね、すべてがヒットしたわけじゃないです。ほんならその社長に『すんまへん、夢語って作ってもらいましたけど、思うたように数は出ませんでした』って、謝るんです。そしたら『いや、一緒に夢見ただけでも楽しかったわー。そんで矢野さんだけや、あかんかった時にも報告してくれんのは。また、一緒に頑張っていいもん作ろうな』言うてもろうてね。製造部門での印象深い思い出ですわ」

現場の声を大切に、そして行動「する」こと

TONEの自由度の高い社風は、いろいろと自分でやりたい人間にとっては好都合の社風だと語る矢野氏。技術職といえば、普通は閉じこもって図面を引いているというイメージが強い。しかし、矢野氏は工具を使う現場に出ていって現場の声を製品づくりへとフィードバックすることこそ大切だと語る。

「表にいっていろんな情報を聞きながらお客さんに合ったもんを提供していく。それが自分は技術屋や思うてる。だから営業いうか、会話もできなあかんし、話す以上に聞くのが大事やね、よう言いますやん、耳二個で口一個やから倍聞けって。だからそういう技術者が自分はいいと思うんですよ。それで、頑固でなくて、柔軟で、一回始めたら最後までやると。

加えて自分がよう言うてんのが、『できる・できひん』じゃなくて、『するか・せえへんか』なんですよ、結局。それと自分の今日に最善を尽くして、できるかできへんかじゃなくて、『する』なんですよ。だいたい、『できません』じゃなくて、やらんうちからできませんはないし、やったらできるんですよ。人間って自分はそうや思うんです。なんでもやればできるんやなぁ、そう思いますよ」

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