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バブル期の「CABIN RACING」からレースクイーン文化は始まった!? 国内モータースポーツ界を変革した懐かしのチームのマシンを紹介します

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了(HARADA Ryo)/佐藤亮太(SATO Ryota)

  • アルミのハニカムパネルとカーボンファイバーで成形したアッパーパネルをリベットで接合したハイブリッド・モノコック
  • 85Bが装着していたのはダイマグ(Dymag)製のセンターロック式マグネシウム/1ピース・ホイール
  • デザインはCART Indy Carシリーズに参戦していたマーチ85Cなどでも使用されていた
  • ピットに展示されたクラコ-マーチ85B(手前)と85J(奥)の2ショット。85Jは85BをF2用にコンバートしているために、一見したところ大きな差異は見当たらない
  • 85Bのリアサスペンション。前回紹介したLARKカラーの85Jとはアッパーアームの形状が異なっている。3L V8のパワーに対応したこちらがオリジナルだ
  • 85Bのリアセクション。85Jの2L V6に比べると大柄には違いないが、それでも3L V8のコスワースDFVがすっきりと収まっている
  • フロントサスペンションはダブルウィッシュボーンで、プルロッドによってインボードにマウントしたコイル/ダンパー・ユニットを作動させるスタイル。これは85Bも85Jも変わりない
  • 個体の出自を示すシャシープレート。85B-03は85Bとしては3台目でワークスチームというべき鬼クス・レーシングで使用されたものだ
  • アルミのハニカムパネルとカーボンファイバーで成形したアッパーパネルをリベットで接合したハイブリッド・モノコック。ハニカムパネルの下にアルミ製のボックスが加えられ剛性をさらに高めている
  • 85Bのリアビュー。フラットボトム規制が敷かれたために、リアのディフューザーが急角度で立ち上がっていることが分かる
  • フラットボトム規制が敷かれたために、リアのディフューザーが急角度で立ち上がっていることが分かる
  • 85Bが装着していたのはダイマグ(Dymag)製のセンターロック式マグネシウム/1ピース・ホイール。このデザインはCART Indy Carシリーズに参戦していたマーチ85Cなどでも使用されていた
  • フォード コスワースDFVを搭載
  • クラコ「マーチ85B」

エマニュエーレ・ピッロがドライブしたマシン

去る2023年10月29日に富士スピードウェイを会場として「POWER&TORQUE」という名のイベントが開催され、その中で箱車レーシングカーの走行枠が設けられました。「箱車の祭典2023」と銘打って実施された展示枠にエントリーしていたクラコ「マーチ85B」を紹介します。

国内モータースポーツ界を変革したCABIN Racing

日本国内のモータースポーツを、大きく変革させるきっかけとなったのは1986年のシーズンイン直前、2月5日に都内のホテルで発足発表会を開催したCABIN RACING(キャビン・レーシング)でした。CABINというのは日本たばこ(JT)が販売していた煙草のブランドで、CABIN RACINGは、その名からも分かるように日本たばこ(JT)がスポンサードするレーシングチームです。

しかし単に当時のトップドライバーだった松本恵二選手をスポンサードして国内最高峰の2カテゴリー、全日本F2選手権と富士グラン・チャンピオン(GC)シリーズに参戦させるだけでなく、松本選手をキャラクターに起用してテレビCMやポスターを制作、JTとCABINのプロモーション活動を展開しています。

全国のたばこ販売店や駅などの展示スペースに松本選手とレーシングカー、そしてCABINが映り込んだ、それまででは考えられないようなイメージのポスターが貼られ、JTとCABINはもちろんですが松本選手やモータースポーツの存在感が大きくなっていったのは事実でした。発足発表会で紹介された5人のキャビン・ギャルズ、今でいうレースクイーンはレースが行われるF2やGCが開催されるサーキットにも登場し雰囲気を盛り上げることになりました。

その一方でCABIN RACINGの情報を発信するPRチームが全レースに帯同。予選や決勝の速報レポートやドライバーのコメントなどをリリースしていたのです。現在のレースでは、こうしたPR業務は一般的となっていますが、当時のレース界としては画期的なスタイルで、まさに“黒船来襲”となりました。そしてバブル景気も手伝って、それ以降はレーシングチームにビッグスポンサーが付き、その体制発表会ではレーシングカーを展示するのと同様に、レースクイーンが紹介されることも一般的になっていきました。

松本選手を擁するCABIN RACINGがスタートした1986年シーズン、国内トップフォーミュラだった全日本F2選手権にはマーチ86J(ヨーロッパで始まったF3000用のシャシーをF2規定のまま開催されていた全日本F2用にコンバートしたモデル)にヤマハが開発したV6のOX66エンジンを搭載し、松本選手に馴染みのあるゼッケン8で参戦しています。

さらにシリーズ最終戦には松本選手の一番弟子を任じる森本晃生選手が、スペアカーのマーチ86J・ヤマハを使用しゼッケン18でエントリーしていました。翌1987年は国内トップフォーミュラがF2からF3000 に移行。CABIN RACINGはマーチ87B・DFVを投入し、松本選手は引き続きゼッケン8で参戦していましたがシーズン途中からローラT87/50・DFVに変更して引き続きゼッケン8で参戦したのです。シーズン後半には森本選手がマーチ87B・DFVを駆りゼッケン85で参戦し2カー体制を敷いていました。

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