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懐かしい「LARK」カラーのマシンは星野一義選手が乗ったホンモノ! 全日本F2選手権に参戦した「クラコ マーチ85B ホンダ」とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了(HARADA Ryo)/佐藤亮太(SATO Ryota)

  • LARKカラーに塗られた車両はクラコ・マーチ85J・ホンダ
  • クラコ-マーチのコクピット
  • フロントサスペンションはコンベンショナルなダブルウィッシュボーン式。コイル/ダンパー・ユニットはインボードにマウントされプルロッドで作動する方式だ
  • リアサスペンションはダブルウィッシュボーン式で、アッパーアームをロッキングアームとして使用するインボード式。843と基本レイアウトは共通だが、アームのデザインは異なっている
  • メーターなどはシンプルな配置となっている
  • このシャシーがexマーチ・ワークスの85Bであることを示すシャシープレート
  • クラコ-マーチのコクピット。ハニカムパネルの内側に、アルミパネルをボックス状に配してシャシー剛性を高めていることが確認できる
  • exマーチ・ワークスの85Bであることを示すシャシープレート
  • 1985年シーズンからはF3000/F2ともにフラットボトム規制が導入されたが、リアのオーバーハング部分は自由で、このようなアップスウィーパーを装着している
  • ピットに展示されたクラコ-マーチ85J。モノコックを共用していることもあり前年モデルのF2、842と似た印象をもっている

F3からF1まで様々な市販レーシングカーを手掛けたマーチ

去る2023年10月29日に富士スピードウェイを会場として『POWER&TORQUE』という名のイベントが開催され、その中で箱車レーシングカーの走行枠が設けられました。『箱車の祭典2023』と銘打って実施された展示枠にエントリーしていたクラコ「マーチ85B ホンダ」を紹介します。

マーチが注目されたのは1970年のF1マシンから

英国の新進コンストラクターとして1960年代から1990年代にかけて、様々な市販レーシングカーを手掛けてきたコンストラクターが1969年に設立されたマーチ・エンジニアリング(March Engineering)。その社名は設立に関わった4人(弁護士資格を持ちマーチでは総務・営業を担当、のちにFISAやFIAの会長も務めることになるMax Mosleyとレーシングドライバーでファクトリーチームを統括する Alan Rees、そしてともにエンジニアとして活躍してきてマーチ社では工場での生産を管理した Graham Coakerと様々なレーシングカーのデザインを担当することになるRobin Herd)のイニシャルから命名されていて、初の商品となった市販レーシングカーはF3レース用の693(1969年用のF3)でした。

英国ではロータスやブラバム、クーパーにローラ、そしてシェブロンなどレーシングカー・コンストラクターが群雄割拠の状態で、そこに新進のマーチが殴り込みをかけた格好でした。フル参戦2シーズン目となった1971年シーズンには、ロジャー・ウイリアムソンが英国でのF3選手権の1つでチャンピオンに輝くなど活躍を始めたのです。

マーチの名が大きく注目を集めるようになったのは1970年のこと。市販レーシングカーの701(1970年用のF1)を完成させると、前年にマトラ・フォードでチャンピオンに輝いたケン・ティレルのチームがこれを購入し前年のドライバーチャンピオン、ジャッキー・スチュワートを擁して参戦。マーチ・ワークスに先んじてシリーズ第2戦のスペインGPで優勝を飾って、その高いパフォーマンスを証明しています。

その後もマーチは、F1GPに挑戦を続ける一方で、F1からF2、F3、FF(フォーミュラ・フォード)、さらにはCARTカーといった市販レーシング・フォーミュラに加えて、Can-Amシリーズ用オープン2シーターのグループ7や、日本の富士グラン・チャンピオン(GC)シリーズでも圧倒的な多数派主流マシンとなる2Lクラスのオープン2シーター・グループ6などのレーシングスポーツも製造するようになりました。

F2からF3000でトップコンテンダーとして1980年代を駆け抜けたマーチ

様々なカテゴリーに向けて市販レーシングカーを数多くリリースしてきたマーチですが、1980年代に入ると各カテゴリーではライバルが勢力を拡大していきました。またF1GPではターボ・エンジンを手に入れることができず、ライバルに後れを取ってしまったのです。そんな状況下でもトップコンテンダーであり続けたカテゴリーがF2/F3000でした。

ホンダがラルトやスピリットと手を組みV6パワーでF2を席巻した時代に、唯一最大のライバルとなったのがBMWと手を組んだマーチでした。そしてF2からF3000に移行してからも、マーチはトップコンテンダーとしてのポジションをキープしていたのです。

ただし残念ながら1980年代の終盤になると新素材の導入などでライバルに後れを取り、トップコンテンダーの座を手放すことになり、かつての優位を失うことに。それでもF3000に移行した当初は、ヨーロッパでは1985年から、日本では1987年からF3000による選手権がスタートしています。

ですが、マーチでは1985年と1986年の2年間、ヨーロッパF3000選手権と全日本F2選手権に、基本的には共通設計ながらコスワース製のV8エンジンを搭載するF3000用シャシーの85B/86Bと、BMWの直4エンジンやHondaのV6エンジンを搭載するF2用シャシーの85J/86Jをヨーロッパと日本国内に供給しています。

アルミハニカムのツインプレートをベースに、カーボンファイバーで成形したモノコック上半分をリベットで接合したハイブリッド・モノコックは、F2仕様の842から採用されマーチのハイテクさを示したのです。

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