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世界初の「衝撃吸収式ボディ」はメルセデス・ベンツが採用! クルマの安全性を戦前から追求してきたパイオニアの歴史とは

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TEXT: 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)  PHOTO: Mercedes-Benz AG/ウエスタン自動車(Western Automobile)/妻谷コレクション(TSUMATANI Collection)

  • メルセデス・ベンツのジンデルフィンゲン工場に新設された自動車安全技術センター(TFS)。写真は2016年に建築
  • メルセデス・ベンツ EQAとEQS SUVによる最新クラッシュテスト
  • 筆者が見た1959年のフィルムから、メルセデス・ベンツW111シリーズ2台による横衝突テスト(ジンデルフィンゲン工場)。世界初のセーフティボディを採用し、前後は衝撃吸収式構造で客室は頑丈な構造
  • メルセデス・ベンツW111シリーズが86km/hでバスに衝突するテスト。世界初のセーフティボディを採用し、前後は衝撃吸収式構造で客室は頑丈な構造。写真は1962年にジンデルフィンゲン工場で行われたテスト
  • W111/220Sbは前部衝撃テスト後でもドアが開き、乗員の救出ができる事を証明。世界初のセーフティボディを採用し、前後は衝撃吸収式構造で客室は頑丈な構造となっている
  • 「ミスター・セーフティ」と呼ばれたベラ・バレニー。1939年に32歳の若さでダイムラー・ベンツ社に入社し、メルセデス・ベンツの安全性のパイオニアとなった
  • 1951年、メルセデス・ベンツのベラ・バレニーが発明した安全ボディの特許証。安全性特許「854 157」として「車両、とくに人の輸送のため」のタイトルと断面図
  • 1959年8月に生産を開始したW111/220Sb(通称:羽根ベン)は、前後衝撃吸収式ボディ構造(フルモノコック)と頑丈な客室構造を採用
  • 1959年8月に生産を開始したW111/220Sb(通称:羽根ベン)は、前後衝撃吸収式ボディ構造(フルモノコック)と頑丈な客室構造を採用
  • 1959年8月に生産を開始したW111/220Sb(通称:羽根ベン)は、前後衝撃吸収式ボディ構造(フルモノコック)と頑丈な客室構造を採用
  • 1959年8月に生産を開始したW111/220Sbのフィンテール。日本では通称「羽根ベン」と呼ばれ親しまれた
  • 1959年8月に生産を開始したW111/220Sbの、セーフティセルと呼ばれる安全車体構造は、乗員が乗る客室の剛性を上げ、その前後構造に衝撃吸収能力を持たせている
  • 1959年9月10日、メルセデス・ベンツのジンデルフィンゲン工場で体系的な衝突テストが開始。この最初の衝突試験と同時に、世界初のセーフティボディ搭載乗用車として量産を開始したのがW111シリーズだった
  • 1959年、メルセデス・ベンツは安全開発の重要な基盤として体系的な衝突試験を開始。テストカーは最初、ケーブルプルシステムによって駆動された。その後、写真に示されている温水ロケットが使用されている
  • 1962年、ジンデルフィンゲン工場の試験場で行われたW111/220SEクーペのロールオーバーテスト。W111/220SEクーペはセダンとともに安全ボディが導入され、前後衝撃吸収式ボディ構造(フルモノコック)と頑丈な客室構造を採用していた(カブリオレ含む)
  • 1959年デビューのW111/220SEbは前後衝撃吸収式ボディ構造(フルモノコック)と頑丈な客室構造であると簡単に識別できる
  • ジンデルフィンゲン工場でのテスト終了後、ベラ・バレニーを中心にエンジニアたちは入念にボディチェックをする
  • 1949年4月23日に登録された特許は、ウェッジピンドアロックの最初のバージョン。安全性特許「827 905」として、「ロック装置、特に車両用ドア」のタイトルと図面。ドアを確実にロックし乗員保護をする
  • 1958年7月2日に登録された特許は1949年特許のドアロックの改良版。2重の安全ドアロックでドア側のウェッジピンとボディ側のテーパー付きの穴でウェッジピンをがっちりと受け止める。安全性特許明細書「1 089 664」として、「ロック装置、とくに車両ドア用」のタイトルと図面
  • 1959年にデビューしたW111/220Sbの特許の2重安全ドアロック。ドア側のウェッジピンとボディ側のテーパー付きの穴でウェッジピンをがっちりと受け止め、ドアを確実に2重ロックし乗員保護をした
  • 1967年に標準装備された衝撃吸収式セーフティステアリングシステム図。ステアリングホイールにインパクトプレートがあり、変形可能なインパクトアブソーバーが付いている。ステアリングコラムとシフトロッドは、衝突時に伸縮自在にスライドする
  • 1967年、ステアリングホイールとステアリングコラムチューブの衝撃吸収は数多くテストされる。メルセデス・ベンツは安全性のためインパクトアブソーバーを1967年8月以来、全乗用車に標準装備。写真のテストでは、そりのダミーがステアリングホイールに衝突。その過程で、長さ90mmの衝撃吸収体が約半分まで崩壊し、結果として衝撃の大部分を吸収する
  • 2台のSクラス(W116)が濡れた路面で最大フルストップブレーキングをした時のABS(アンチロック・ブレーキ・システム)のデモンストレーション。ABSのない280SEでは、滑りやすい路面で最大のフルストップブレーキング時にホイールがロック。ABSを装備した450 SEL 6.9は、最大フルストップブレーキング時でも障害物を避けるステアリング操作が可能
  • ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)は、1978年にメルセデス・ベンツ Sクラス(W116)に導入された。ブレーキング時にホイールがロックするのを防止する
  • 1969年には人間や車両の被害状況を調査し、事故原因を分析・研究する「事故調査活動」を開始した。実際の事故を分析し、事故調査による結果から導き出された独自の安全技術を開発。写真は1990年代で、S124のステーションワゴンが緊急車両として活躍
  • メルセデス・ベンツ安全性の基本理論(1951年に特許を取得)。妻谷コレクション
  • メルセデス・ベンツ安全性の基本理論(1951年に特許を取得)。ウエスタン自動車
  • メルセデス・ベンツの安全思想の樹木。妻谷コレクション
  • 筆者が見た1959年のフィルムから、メルセデス・ベンツW111シリーズの2台による正面衝突テスト(ジンデルフィンゲン工場)。世界初のセーフティボディを採用し、前後は衝撃吸収式構造で客室は頑丈な構造
  • 1959年8月に生産を開始したW111/220Sbの室内は、ステアリングホイール、インストゥルメント・パネル、ドアライニング、アームレスト、サンバイザー等に衝撃吸収材を使用。埋め込み式ドアハンドル、脱落式ルームミラーをすでに採用
  • 1968年に行われたW111とW108の2台による横衝突テスト。1959年デビューのW111は、前後衝撃吸収式ボディ構造(フルモノコック)と頑丈な客室構造を持つ世界初のセーフティボディ搭載乗用車の量産車だった

メルセデス・ベンツが安全技術の研究を開始して86年

メルセデス・ベンツといえば安全なクルマ、というのは、日本に輸入され始めた時代から現代に至るまで、もはや共通認識といえるでしょう。かつて「頑丈であれば安全」というのが常識だった時代から、パッシブ・セーフティの概念をいち早く導入し、衝撃吸収式ボディの先駆けとなったメルセデス・ベンツの研究開発の歴史を振り返ります。

古い2つのフィルムに映された、2つの「安全性」

筆者は以前、2巻の古いフィルムを観たことがある。1巻は1930年代初頭のアメリカ某社の新型車のデモンストレーションフィルム。今からすれば典型的な箱形スタイルの新型車が、急な坂道を全速力で下り、その先で急ハンドルを切る。1回転、2回転、それから体勢を立て直して、凹んだボンネットをうならせながら再び走り出す。間を置かず、満場の観客席に向かって、叫ぶような声でアナウンスが流れる。

「わが社の新型車はかくも頑丈。この通りまだ走る!」

強固なフレームと鋼板で固められた車体。しかし、それが必ずしも安全ではないということは周知の通りである。固いプラスチックの箱に卵を入れて滑らせ、壁にぶつけるシーンを想像してみても明らかだ。卵はひとたまりもない。仮に何かの方法で卵を固定しても、結果は同じである。いうまでもなく箱はクルマ、卵は人間である。

もう1巻のフィルムは、ドイツのダイムラー・ベンツ社時代、1959年のものである。アメリカの某会社のフィルムとは全く違っていた。メルセデス・ベンツ2台が正面衝突テスト、横からの衝突テスト、大型バスに衝突するテストシーンなどであった。メルセデス・ベンツの前後は衝撃で潰れたが、客室は頑丈で衝突テスト後でもドアが外から開いたことに、当時の筆者はただ驚くばかりであった。

60年代前半までは「より頑丈なクルマが安全」だった!?

この2巻のフィルムを比較して言えることは、ただ頑丈なだけのボディでは、乗員や衝突した相手に大きな被害が及んでしまうことである。むしろ自動車がうまく壊れて衝撃を吸収すれば、被害を軽くできる。当時の常識とは全く逆の発想から生まれたメルセデス・ベンツの衝撃吸収式構造ボディ。つまり、事故の際、メルセデス・ベンツの前後は潰れやすい衝撃吸収式構造で、客室は逆に頑丈に造り、しかも事故後でもドアを外から開いて乗員を素早く救出できるわけである。

戦後、世界の自動車産業は急速に成長した。よく走り、よく止まり、よく曲がるという基本性能に基づいた安全性も向上した。しかし、事故が起きた時に、より頑丈なクルマが安全であるという考え方は1950年代を通じ、1960年代前半に至るまであまり変わっていなかった。しかも、それに対して理論だった研究、対策を試み、力を注いだメーカーはというと、ほとんどと言ってよいほど無かった。

理由は簡単。安全の研究、とくに衝突安全性に関する研究は、金額がかかるわりに見返りが少ないと言われたからである。とくに1950年代から1960年代のアメリカ車は、その点が象徴的であった。V型8気筒の大排気量、大出力&オールパワーシステムで豪華な装備を満載した大型高級車は、1台で大きな利益を生むからである。アメリカはもちろんのこと、ほとんど世界中の自動車メーカーがこのような状態であった頃、当時のドイツの高級自動車メーカー、ダイムラー・ベンツ社はどうしていたのであろうか。

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