メルセデス・ベンツが安全技術の研究を開始して86年
メルセデス・ベンツといえば安全なクルマ、というのは、日本に輸入され始めた時代から現代に至るまで、もはや共通認識といえるでしょう。かつて「頑丈であれば安全」というのが常識だった時代から、パッシブ・セーフティの概念をいち早く導入し、衝撃吸収式ボディの先駆けとなったメルセデス・ベンツの研究開発の歴史を振り返ります。
古い2つのフィルムに映された、2つの「安全性」
筆者は以前、2巻の古いフィルムを観たことがある。1巻は1930年代初頭のアメリカ某社の新型車のデモンストレーションフィルム。今からすれば典型的な箱形スタイルの新型車が、急な坂道を全速力で下り、その先で急ハンドルを切る。1回転、2回転、それから体勢を立て直して、凹んだボンネットをうならせながら再び走り出す。間を置かず、満場の観客席に向かって、叫ぶような声でアナウンスが流れる。
「わが社の新型車はかくも頑丈。この通りまだ走る!」
強固なフレームと鋼板で固められた車体。しかし、それが必ずしも安全ではないということは周知の通りである。固いプラスチックの箱に卵を入れて滑らせ、壁にぶつけるシーンを想像してみても明らかだ。卵はひとたまりもない。仮に何かの方法で卵を固定しても、結果は同じである。いうまでもなく箱はクルマ、卵は人間である。
もう1巻のフィルムは、ドイツのダイムラー・ベンツ社時代、1959年のものである。アメリカの某会社のフィルムとは全く違っていた。メルセデス・ベンツ2台が正面衝突テスト、横からの衝突テスト、大型バスに衝突するテストシーンなどであった。メルセデス・ベンツの前後は衝撃で潰れたが、客室は頑丈で衝突テスト後でもドアが外から開いたことに、当時の筆者はただ驚くばかりであった。
60年代前半までは「より頑丈なクルマが安全」だった!?
この2巻のフィルムを比較して言えることは、ただ頑丈なだけのボディでは、乗員や衝突した相手に大きな被害が及んでしまうことである。むしろ自動車がうまく壊れて衝撃を吸収すれば、被害を軽くできる。当時の常識とは全く逆の発想から生まれたメルセデス・ベンツの衝撃吸収式構造ボディ。つまり、事故の際、メルセデス・ベンツの前後は潰れやすい衝撃吸収式構造で、客室は逆に頑丈に造り、しかも事故後でもドアを外から開いて乗員を素早く救出できるわけである。
戦後、世界の自動車産業は急速に成長した。よく走り、よく止まり、よく曲がるという基本性能に基づいた安全性も向上した。しかし、事故が起きた時に、より頑丈なクルマが安全であるという考え方は1950年代を通じ、1960年代前半に至るまであまり変わっていなかった。しかも、それに対して理論だった研究、対策を試み、力を注いだメーカーはというと、ほとんどと言ってよいほど無かった。
理由は簡単。安全の研究、とくに衝突安全性に関する研究は、金額がかかるわりに見返りが少ないと言われたからである。とくに1950年代から1960年代のアメリカ車は、その点が象徴的であった。V型8気筒の大排気量、大出力&オールパワーシステムで豪華な装備を満載した大型高級車は、1台で大きな利益を生むからである。アメリカはもちろんのこと、ほとんど世界中の自動車メーカーがこのような状態であった頃、当時のドイツの高級自動車メーカー、ダイムラー・ベンツ社はどうしていたのであろうか。


























































































