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ボルボ「240ターボ」優勝車もどきが「帝人ボルボ」を動かした? 本社モータースポーツ部門でも話題になって「インターTEC」へとつながる…【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

ボルボからの1本の電話でロバート・クヴィスト氏に会えた

一方で、ホイールやサスペンションも、その当時懇意にしていたショップさんに相談すると、ならばワンオフで作ってやると……。そしてダンパーは本国ボルボの純正アクセサリーとして扱われている、ビルテーマと言うダンパーが入手できるという。これ、実はカヤバが海外向けブランドとして製作したもので、それを横流ししてもらったようである。というわけで、あっという間にホイールもダンパーも目途がついた。スプリングはまあ、当時の常道で15mmほどカットして製作完了。

こうして「もどき」のボルボ240ターボが完成したのである。エンジン及びトランスミッションには手の入れようがなかったから、仕方なくノーマル。その姿は当時色々な雑誌に露出した。

するとそのうわさを聞きつけたのか、ボルボから電話が……。何でも、このクルマを本当にドライブした(勿論レースで)、ロバート・クヴィスト氏が日本に駐在することになってやって来ているから、クルマを持って会いに来ないか? とのオファーである。もちろんすっ飛んでいった。六本木にあった当時の帝人ボルボ本社前で晴れてご対面。そして握手を交わした。

すっかりボルボといい関係になって、たまたまボルボのレース部門、ボルボ in スポーツの見学ができる海外取材があるとのことで、同行させてもらった。既に現地でも私のクルマは雑誌を通じて知っていたようで、モータースポーツ部門に到着するなり次のように言われた。

「お前か、これを作ったのは?」

と雑誌を見せられた。そして次に放った言葉は

「何でも欲しいものをあげるよ」

千載一遇のチャンスとばかり私は返事をした。

「ならば、ターボエンジン」

と言っては見たものの、笑いながら軽く却下された。他に何かないか? というので、本来はスカイラインGT-R用のリアスポイラーをつける予定だった。

「ならばレース用のリアスポイラーをくれ」

とダメもとで言ってみた。すると、なんと奥に入ってビニールにくるまれたレース用リアスポイラーを持ってくれた。

「どうぞ、プレゼントだよ」

まあ、驚いたけれど、本物のレース用リアスポイラーが手に入ってしまった。もちろん帰りの飛行機は手荷物で機内に持ち込み、帰国してすぐに友人のメカニックに付けてもらい、晴れて「240ターボ」もどきが完成した。

谷田部高速試験場でトップスピードを試すと約180km/hを記録

足を固めたこともあってか、鈍重なクルマの割に(決定的にアンダーパワーだから)、コーナリングフォースはとても高く、明らかにシャシーがエンジンに対して勝った状態だったので、フルブレーキングして入るようなコーナーでは予想外に速かった。トップスピードは当時の谷田部高速試験場で試した結果、約180km/hと言うところ。まあ、十分に速かった(当時としては)。

実はインターTECにボルボがワークスカーを持ち込むきっかけを作ったのは、ある意味このクルマである。当時の帝人ボルボの社長と話をして、自分のボルボに対するイメージが変わったから、きっとレーシングカーが来ると、ボルボのイメージが変わりますよ……と熱心に説いた。

結局フライングブリックと呼ばれたワークス・ボルボがインターTECに登場し、ブッチギリで優勝したのはご存じの通り。そして、そのレースの時パドック裏には私の「240ターボもどき」が堂々と停められていたのである。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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