元アルボレート車という経歴は果たしてプラス要素となるのか?
一定以上の年齢のイタリア人フェラーリファンにとっては、ある意味アイドルともいうべき人気者のミケーレ・アルボレート。1994年シーズン終了をもってF1から離れ、トップカテゴリーにおける14年間のキャリアにピリオドを打った。その輝かしいキャリアには「スクーデリア・フェラーリ」で戦った5シーズンも含まれていた。
なかでも1985年シーズンのアルボレートは、1979年のジョディ・シェクター以来長らくフェラーリから遠ざかっていたドライバーズタイトルを、あと一歩のところまでもっていった。しかし最終的に「マクラーレンTAGポルシェ」のアラン・プロストに敗れ、ポイントランキング2位という結果に終わった。
F1GP引退後、彼は「シュベール・エンジニアリング」のもとドイツの「DTM選手権」および「ITCC選手権(インターナショナル・ツーリングカー・チャンピオンシップ)」に参戦する。そのかたわら、北米「インディカー選手権」や「FIAワールド・スポーツカー・チャンピオンシップ(WSC選手権)」にも出場。1997年の「ル・マン24時間レース」では、「TWRポルシェWSC-95」で総合優勝に輝いた。ただし、その間にも北米「IMSA選手権」でフェラーリ「333SP」を駆るなど、マラネッロとのつながりは維持していた。
パリの名門フェラーリ・ディーラー「シャルル・ポッツィ」が販売
RMサザビーズ「MILAN 2025」オークションに出品したフェラーリ F355ベルリネッタは、この時代におけるアルボレートとフェラーリの関係をうかがわせる1台といえるだろう。
1995年8月8日、モナコに在住していたアルボレートは、パリの名門フェラーリ・ディーラー「シャルル・ポッツィ(Charles Pozzi SA)」から、このフェラーリ F355ベルリネッタを受け取る。
VINコード(シャシーNo.)は「ZFFPR41B000103037」。現在も維持されている「ネロ・カルボニオ(Nero Carbonio:カーボンブラック)」のボディカラーと「ベイジェ(Beige:ベージュ)」のレザーインテリアの組み合わせで製造された。マッチングナンバーの「ティーポF129」型V8・40バルブエンジンも残されている。
また、まだF1マティックの設定のない1995年式の初期型ということで、自動的に3ペダルの6速マニュアル仕様となる。それは現在のマーケットにおいては、むしろ歓迎される要素となるだろう。

































































































