3500GTのなかでもっとも魅力的なパッケージング
2025年年7月8日、英国バークシャーの名門ホテル「クリブデンハウス」で開催したRMサザビーズのオークションに、マセラティ「3500GTスパイダー」が出品されました。燃料噴射仕様「GTI」は希少な個体で、欧米を渡り歩いた履歴を持ち、近年の丁寧なレストアを経て再び市場に登場。落札価格は約8530万円に達し、今なお高く評価されていることを証明しました。
レーシングマシンの心臓をもつグランツーリスモ
ファン・マヌエル・ファンジオに5度目のワールドタイトルをもたらすという最高のかたちで1957年シーズンを終えたマセラティは、この年をもってF1GP、スポーツカーレースともにワークス参戦を中止。とくに北米マーケットでの拡販が見込める、量産グラントゥリズモの生産・販売に全精力を注ぐことにした。
このような状況のもとに生まれた3500GTは量産を強く意識したモデルながら、巨匠ジョアッキーノ・コロンボが基本線を引いたF1マシン「250F」や、耐久レース用のレーシングスポーツ「300S」直系の直列6気筒DOHCツインイグニッションのエンジンを搭載する高性能GTを目指して開発された。
1957年春のジュネーヴ・ショーにてデビューした際のパワーユニットは、280psを発揮する純レーシングスポーツ。300S用エンジンのストロークを10mm延長し、総排気量は3485cc。つまり、南米などのレース用にごく少数が製作された「350S」と基本的には共通のエンジンが搭載されていたことになる。もちろんシティユーズを考慮して大幅にデチューンされてはいたものの、それでも3基のウェーバー42DCOE気化器を組み合わせ、220psという当時の市販車としてはトップクラスの高性能を発揮した。
シャシーフレームは、伝説的なフレーム職人ジルベルト・コロンボ率いる「ジルコ(Gilco)」社の手による鋼管チューブラーで、前:ダブルウィッシュボーン+コイル/後:リーフリジッドという極めてコンベンショナルなサスペンションが組み合わされた。
窮地に陥ったマセラティを救った3500GTの成功
ショーデビューののち、1958年初頭から正式販売に移された3500GTは、当初「トゥーリング・スーペルレッジェーラ」による豪奢かつエレガントな2+2のクーペボディが設定されていたが、翌59年にはホイールベースを100mm短縮したジルコ製フレームの専用シャシーに、ジョヴァンニ・ミケロッティがデザインし、カロッツェリア「ヴィニャーレ」が架装した2座席オープンボディを組み合わせたスパイダーも追加設定される。
その後1960年には、前輪にディスクブレーキを装着(のちに4輪に装備)。さらにその翌年には、ウェーバー・キャブレターの代わりに英ルーカス製のフューエルインジェクションを備え、235psまでスープアップした「3500GTI」が追加される。
そして、1964年に生産を終えるまでの生産台数については諸説あるが、クーペとスパイダーを合わせて1972台といわれ、一時は経営権譲渡の恐れもあったとされるマセラティ社の窮状は、この3500GTシリーズの成功によって事実上回避されたのだ。
ちなみに、1959年から1964年の間に製作された3500GT/GTIスパイダーは、わずか242台のみ。現在の国際クラシックカー・マーケットにおける相場価格も、クーペの2倍以上となるようだ。
































































































































































