1台1億〜2億円といわれるコンセプトカーを試乗させてくれた
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る過去の経験談を今に伝える連載。今回は、1990年代後半、クライスラーは世界に1台しかないコンセプトカーの試乗を頻繁に許可していました。ラグナセカ・サーキットで筆者が体験したプリマス「プロントスパイダー」の試乗の記憶と、当時の自動車メーカー事情を振り返ります。
貴重なワンオフ・コンセプトカーを頻繁にメディアに試乗させた
かつてバブルの頃、日本の自動車メーカーはごく稀ではあるがコンセプトカーに乗せてくれていた。一方で1990年代後半のクライスラーは、かなり頻繁にコンセプトカーの試乗を許したのである。
コンセプトカーといえば、基本的にはワンオフ、つまり世界に1台しかない。しかもとてつもない大金をかけて作られており、1億円、2億円は当たり前とされる。そんな高価で貴重なクルマに、日本からやってきたジャーナリストを乗せてしまうのだから、まさに太っ腹と言うほかはない。
こうしたイベントは当時ほぼ毎年のように行われ、筆者も2〜3回参加した。その初回(だったと思う)が、ペブルビーチ・コンクール・デ・レガンス会場近くのラグナセカ・サーキットで開催された。クローズドコースのため交通を気にする必要はなく、撮影場所への移動も自ら運転してよいという自由度の高いイベントだった。
この時は、日本人デザイナー鹿戸治氏が手がけた「クロノス」というモデルも展示されていた。そして、実際にサーキット走行を許されたのが、プリマス プロントスパイダーだった。
クライスラーの1ブランドだったプリマス最期のコンセプトカー
1980年代まで、アメリカにはGM、フォード、クライスラーという「ビッグ3」が存在した。GMとフォードは現在も健在だが、クライスラーは経営危機を繰り返し、1998年にダイムラー(メルセデス・ベンツ)と合併しダイムラー・クライスラーとなる。蜜月は9年で終わり、破産を経てフィアット傘下へ。その後PSAと合併し、現在はステランティス・アメリカとしてクライスラー・ブランドのみが残っている。
一方、プリマスはクライスラー傘下のブランドで、元々はエントリー向けモデルを展開。1960年代にはマッスルカーである「ロードランナー」で名を馳せたが、2000年にブランドは消滅した。
1998年に試乗したプリマス プロントスパイダーは、ブランド消滅直前に登場したモデルだった。艶消しグレーのボディは無塗装で、PET(ポリエチレン・テレフタラート)素材にカラーを練り込み、塗装不要を売りにした環境志向の1台。しかし量産化はされなかった。
デザイン・性能ともに印象的で、日本のトヨタ MR-2や欧州のオペル スピードスターのライバルとなり得る存在だった。エンジンは2.4L直4ターボDOHC16バルブをミッドシップ搭載していた。
警察車両先導でコンセプトカーが公道をパレードラン
試乗はお目付け役同乗のもと、おもに走行撮影のためで全開走行はできなかったが、潜在能力の高さを感じた。このエンジンは後にPTクルーザーGTやネオンSRTにも搭載された。
その翌年か翌々年には、マイアミ市街地でのコンセプトカーパレードも開催。警察車両の先導付きという演出も印象的だった。こんな遊び心あふれる時代が再び訪れるのか、少し気になるところである。

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