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15年越しの恋を実らせ購入したいすゞ「ベレットGTR」は「修理地獄」への登竜門!旧車オーナーが語る笑いと涙のレストア記【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

ウェーバー装着とホイール&タイヤ交換で念願の筑波デビュー

とりあえずできあがって、筑波でデビューしないことには、何のために一生懸命直してきたのかわからない。だいたい子供の頃からせっかちで、ゆっくりじっくりと仕上げていく根気というものがなかった。

プラモデルを買ってきても、その日のうちに作り上げてしまわないと気に入らない方だった。それが、手に入れてからそろそろ2年近く経っている。その間、乗った距離といえば、わずか数百キロ。まともに走らないのだから仕方がないと言えばそれまでだが、もっとも遠出しても、東京から第三京浜を港北まででは情けない。

それに、塗装が終わったらすぐに、キャブレターを手持ちのウェーバーに変える作業と、タイヤ&ホイールを変える作業が待っている。これをやらないことには、筑波は走れない。今付いているソレックスは、どうもメインジェットが少々詰まっているのか、ガバッと開くと、すぐに咳き込んでしまうのだ。

これらの作業がすべて終わって、マッキナ・ヴェルデとなった僕のベレットGTRが帰ってきたのは、筑波のヒストリックカー・フェスティバルのおよそ1週間前だった。いきなりサーキットでは何なので、キャブの調子を見るために走ってみた。

ほとんど電子制御燃料噴射しか知らない今の人に、キャブのクルマをドライブしろと言っても、ひょっとすると難しいかもしれない。夏と冬では吹け方が違うし、気温差でも違う。山に上がったりすると、途端にぐずつくこともある。それが、ひとつ口径の大きなキャブだと、なおさらだ。

マッキナ・ヴェルデにはウェーバー40DCOEという口径40φのキャブを付けていた。レスポンスはすごくいい。ただ、現代のクルマのように、いきなり床までアクセルを踏みつけると、必ずためらう。それとともに軽いジャダーを伴って、「ゴボゴボッ」と気難しい音をたてた後、背中を蹴飛ばされたように(当時はそう思った)、猛然と加速するのである。

この「ゴボゴボ」を避けるためには、アクセルをゆっくり、その後一気に開けば良い。けっして今のクルマでは聞けない「シュワーッ」というキャブレターの吸入音と共に、素晴らしいツインカムサウンドを聴かせてくれる。ここまで来れば、目的の99%は達せられた。残りの1%で、筑波を走れば、僕はそれで満足だった。

筑波では、ロールバーが入っているわけでもないので、レースやスポーツ走行はできない。だから、マッキナ・ヴェルデはファミリー走行に参加しただけだ。それに直ったとはいえ、振動が止まったわけではない。高速ではせいぜい120km/hがいいところだ。だから、このクルマのお楽しみは、2速で引っ張った時のウェーバーの吸入音と、ツインカムサウンドなのである。

残したスペアキーがマッキナ・ヴェルデと連れ添った証

わけあって、マッキナ・ヴェルデはその後、里子に出さなくてはならなかった。もちろん、依然としてオーナーは僕だし、自由に使えるという点ではこれまでと同じだった。しかし、置き場所が東京の反対側。こっちが城南なら、マッキナ・ヴェルデは城北地区に置かれる羽目になった。必然的に乗ってやる機会も遠のく。手に入れた時は、もう誰にも渡さないつもりだったけど、恋は移り気。いつしか面倒も見なくなり、結局やるはずだったインテリアのレストアは見送ることに。そして請われるままに、岡山のエンスージアストに譲ることになった。

電話での応対だけで、僕のマッキナ・ヴェルデを買っていった岡山の某君は、きっと心からベレGを愛していたに違いない。彼が岡山からわざわざクルマを取りに来た日。外は、しのつくような雨が降っていた。前日磨き上げてワックスをかけたボディに、水滴が放射状に滑り降りていた。エンジンは一発でかかり、快調なファーストアイドルをする。それを見て彼も、わざわざ岡山からやって来たことに満足したようだった。

キーを渡す時、一瞬のためらいがあった。じつは、彼には未だにひとつしかキーを渡していない。スペアを渡さなかったのだ。それは、僕の元に5年も住みついた、マッキナ・ヴェルデに対する未練でもあった。あれからおよそ40年以上経った今、マッキナ・ヴェルデのスペアキーは、僕の手元にある。他の僕の元に住みついたマッキナたちのスペアキーとともに。

 

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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