W123(1975-1985年)
クーペとワゴンも設定した2代目コンパクトシリーズ
1976年1月、スリムで軽快なスタイルのコンパクトシリーズ2代目W123が登場した。W116型Sクラスのコンポーネンツを受け継いで設計されたこのモデルは、がらりと変わったスタイリングが比較的若い層を狙った装いであった。
ヘッドライトは4気筒モデルが丸型4灯式、6気筒モデルは横広角目の異型2灯式。当時は、4気筒モデルに6気筒モデルの異型角2灯式に替えるのが流行った。ところがメルセデス・ベンツがヨーロッパ・ラリー選手権にワークスチームを送り込んだマシンが4灯式ヘッドライト+ドライビングライトを装着していたのが恰好良かったので、カスタマイズしたユーザーが慌てて元に戻したというエピソードが世界中で聞かれた。
後にお洒落なクーペや多機能ステーションワゴン(1977年発表のTモデル)の参画もあり、「メルセデス・ベンツコンパクト」の存在は中型カテゴリーのなかでも最高峰と呼ぶに相応しいラインアップとなった。総生産台数は先代W114/W115シリーズをさらに上まわる約270万台だった。
エンジンは基本的には前シリーズのW114やW115からの踏襲だが、W115の280E/CEが搭載した2.8L 6気筒DOHCエンジンにはボッシュ製Kジェトロニック燃料噴射が採用され、本格的にハイパフォーマンス化を果し177psを発揮する。
じつにハイクオリティなエンジンであったが、時は日本の昭和51年排ガス規制の頃。その対策技術は黎明期であり、筆者が日本版カタログの撮影で箱根を走行した日本仕様は177psが145psに絞られていて悔しい思いをしたと記憶している。
また5気筒NAやターボのディーゼルを初搭載したのも、このW123からであった。さらにレース用としてはW109型300SEL 6.8を作り上げていたAMGが、市販モデルとして最初に展開したのもこのW123であった。
W124(1984-1996年)
マイチェンでEクラスと名乗った人気モデル
1984年に発表されたW124型Eクラス。日本では「自動車100年祭」の会場でデビューした。このW124はメルセデス・ベンツの呼称刷新により、当初は「ミディアムクラス」と呼ばれていたが、1993年のフェイスリフト時から「Eクラス」となった。これは1982年に、より小さな190(W201型)が登場したからである。
これまでの「E」は単にEINSPRIZUNG(燃料噴射)の頭文字だったが、W124で正式に「Eクラス」と呼ばれた。初期のW124は300E、後期にはE320、すなわち、「アトE」「サキE」と呼ばれた。
W124はメルセデス ベンツの名デザイナーであるブルーノ・サッコが190(W201型)に続いてデザインを手がけた作品で、すっきりとしたスタイリングにはフロントグリルの他はクロームメッキがほとんど見当たらない。当初、1本のサイドプロテクターは、1990年からサッコ・デザインのアイデンティティともいうべき「サッコ・プレート(ボディ側面を保護するパネル)」を採用。このW124のスタイリングは、サイズやクラスを超えて世界中の自動車デザインに大きな影響を与えた。
有限要素法(Finite Element Method)の高度コンピュター設計システムを駆使して生み出した空力的なフォルムは、Cd値0.29を実現。先代のW123(1975~1985年)まではコンパクトと呼ばれていたが、W124は全長4740mm✕全幅1740mmのボディを得て、「ミディアムクラス」と呼ばれるようになった。そのボディバリエーションはセダン、ワゴン、クーペ、カブリオレと豊富だった。
















































































