速すぎて販売の是非を国会で議論されたロータス オメガ
そのロータス オメガについて話をしよう。デビューした1992年当時、最速の4ドアセダンと言われたこのクルマのベースとなったのは、オペル「オメガ」である。当時ヨーロッパGMの社長であったロバート・イートンと、同じく当時ロータスの社長であったマイク・キンバリーの発案で始まったこのプロジェクトは、コードネーム、タイプ104と呼ばれた。ターゲットとされた性能は0-100km/hを6秒以下でこなすハイスピードセダンであった。生産はロータスの工場があるヘーゼルで行われることになった。当時ロータスはGM傘下のメーカーであったため、このプロジェクトはすぐさま実現し、1989年のジュネーブショーにはそのプロトタイプがお披露目された。
ロータスが断行したチューニングは、オリジナルのオペル・オメガ用の3L 直6DOHC24バルブエンジンを、3.6Lまで拡大し、さらにギャレットリサーチ製のT25ターボチャージャーを2基装備。最高出力は377psで、トップスピードは289km/hと、まさに化け物級のモデルができ上がったのである。
当時オペルはイギリスのヴォクスホールと同じモデルを販売しており、イギリスではロータス・カールトンの名で呼ばれていた。そしてイギリスではこの速さが問題視され、同国の国会ではこのようなクルマを公道で走らせることの是非について質問が出されたほどだったという。さらに『デイリー・メール』紙などは、発売禁止を求めるキャンペーンを行ったというから、いかにそのスピードが問題視されたかがわかるクルマであった。
結局1000台が生産される予定だったロータス・オメガ/カールトンは、予定に満たない950台で生産を中止し、その希少性から今では当時の新車価格と変わらないレベルの価格で取引されている。
貴重なオメガはオペル車とは一線を画すロータスチューンの足まわりを採用
では、実際に乗って速かったか。あくまでも助手席での体験ではあるけれど、ニュルブルクリンク北コースの最長ストレート、ドッティンガーホーエでは、ちゃんとメーターを見ていたわけではないけれど、楽々250km/hには達していたように思う。単に速いというだけでなく、その運動性能もピカイチだった。ロータスは足まわりのチューニングも断行していたため、明らかに当時の市販オペルとは別物感を漂わせたクルマだった。いずれにせよ、ニュルブルクリンク北コースでの走行と、今となってはとても貴重なこのロータス オメガの同乗走行体験は、大きな財産となった。
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