国際オークションのヒーローがベルギーの新興イベントに登場
2025年10月、ベルギーの海沿いで初開催された「ザウテ・グランプリ・カー・ウィーク」に、世界のオークションで人気を誇るフェラーリ「F40」が姿を見せました。出品車のオドメーターは1万400km未満を示していました。車両のあらましとオークション結果についてお伝えします。
エンツォ・フェラーリが示した最終回答
F40は、ひとつの宣言として生まれた。開祖エンツォ・フェラーリさん自身がフェラーリのあるべき姿を最終的に示した証である。また、マラネッロが40年にわたるレーシングとロードカーの卓越性で成し遂げた成果の象徴でもあった。
デビュー前の数年間、カモフラージュを施されたフェラーリがフィオラーノで周回を重ねる姿が目撃され、噂が渦巻いた。多くの人々は、これらのムレット(プロトタイプ)が288GTOの後継車となるものと推測した。しかし実際には、それらはFIA「グループB」規約による耐久レース向けに構想された「288GTOエヴォルツィオーネ」である。同シリーズの突然の中止により計画は頓挫したが、5台のエヴォルツィオーネはGTOと、エンツォさんの署名(サイン)を伝説へと導くF40との架け橋となったモデルである。
F40の公式発表は1987年7月21日、マラネッロで行われ、老齢のエンツォ・フェラーリさんが自ら出席した。アメリカの専門誌「カー・アンド・ドライバー」によれば、ボディカバーが外された瞬間、マイクが彼の呟きを捉えたという。「ベッロ、モルト・ベッロ(美しい、実に美しい)」。演出ではあったが、本人による完全なる賛辞が稀に見せる瞬間でもあり、それには充分な理由があった。
レオナルド・フィオラヴァンティさんの元でかたち創られ、風洞で磨き上げられたピニンファリーナのデザインは、機能的でありながら魅惑的であった。11枚の大型複合パネルで構成されたボディワークは、前後部に巨大なクラムシェル型カウルを採用し、その機能を示すようにあらゆる機械的ディテールが露わになっていた。
一方、模範としたレーシングカーさながらのコックピットは、布張りのレーシングシートに剥き出しの複合材、プルストラップ式のドアリリース、初期モデルにはスライド式パースペックス窓も装備されていた。
リアカウルの下に収まる心臓部は、288GTOのツインターボV8を基盤とした。排気量は2.9Lに拡大され、IHI社製ツインターボチャージャー2基とベール社製インタークーラーを搭載。出力は478ps、トルクは577Nmに達する。
当時としては驚異的な数値である。GTOより20%軽量でありながら3倍の剛性を誇るカーボン/ケブラー製軽量ボディと相まって、F40は常識を塗り替えた。0-100km/h加速は4.1秒、最高速度は驚異の324km/hに達し、F40は世界最速の市販車となった。


































































