1966年シーズン、スパッツァパンはイタリア・ヒルクライム選手権の9戦に参戦して総合優勝を含む上位入賞を重ねた。ヴァッレルンガのサーキットレースでもクラス2位でフィニッシュしている。
わずか1シーズンの所有を経て、1967年初頭にマシンはエンニオ・ボノメーリへ売却された。彼ものちにポルシェのスペシャリストとして活躍するドライバーだ。しかし早々に新型車910へ主戦機をスイッチしたため、彼が906を走らせたのは3戦のみであった。その後、マシンはアントニオ・ザドラ(レースネーム「カンダル」)やジュゼッペ・ダッラ・トッレらに託された。
新オーナーのもとでも、このマシンは快走を見せた。1967年シーズンの「ムジェッロ500km」では総合10位(クラス3位)に入賞。翌1968年6月の「コッパ・ガレンガ」ではディーノ 206Sやポルシェ 910に次ぐ総合3位(クラス1位)を獲得している。
そして最高の瞬間となったのは、同年9月の「イモラ500km」レースだ。このレースには、同じ2リッターながらワークス体制の アルファ ロメオ T33/2 (グループ6)が3台参戦していた。一方、量産型の906(グループ4)はそれらに次ぐ総合4位でフィニッシュし、見事にクラス1位という目覚ましい結果を残したのである。
世界のワークス勢を震撼させ、技術力を飛躍的に向上させた歴史的立役者がポルシェ906という存在!
1960年代終盤、ワークス体制でポルシェ包囲網として挑んでくるフェラーリやアルファロメオが競争力を劇的に上げてくる中、量産型906は国際レースでの競争力を次第に失っていった。しかし1970年代に入ると「ヒストリック」レーシングカーへの関心が急増する。こうした背景のもと、イタリアの愛好家コラード・クペリーニがこの906-115を発見し購入した。
数年間の所有ののち、1977年にドイツの著名なポルシェ愛好家ベルント・ベッカーに売却される。ベッカーはほぼ四半世紀にわたり所有し、ヨーロッパ各地で定期的にレースに出場した。
2001年にはドイツのブローカー「PSオートモービル」へと売却されている。同社の管理のもとで包括的なリビルドを受けた。その際、オリジナルのFRPパネルとナンバーマッチングのギヤボックスが保持されていることが確認されている。ただしエンジンはポルシェから供給された交換用クランクケースに換装され、オリジナル番号の「906-113」が刻印された。
レストア完了後、オリジナルカラーの「グランプリホワイト」に塗装された同車は、2002年の「トゥール・オート」に登場。その後、フランス人コレクターのアラン・サラやスイス在住のカルロ・ペレゴを経て、2020年に現オーナーへ譲渡された。
現オーナーの依頼により、専門工場「ロード・スカラーズ」社で6万ドル(約954万円)以上を投じて入念な整備が施された。キャブレターやステアリングラックの再構築、リア側のオイルシール交換などが徹底的に行われている。
この完璧な状態のポルシェ 906に対し、RMサザビーズが設定したエスティメートは130万ドル~170万ドル(邦貨換算約2億670万円〜約2億7030万円)だ。ここ数年の販売実績からすればやや安価な設定である。確実な落札を狙ったと思われたが、2月27日の競売では最低落札価格に届かず、無念の流札に終わってしまった。現在では、目安のリテールプライスとして140万ドル(邦貨換算約2億2260万円)が提示されている。引き続きRMサザビーズを通じた個別販売が継続中だ。
激動のレース現役時代を過ごしたポルシェ906は、フェラーリからの刺客ディーノ206Sや2型となったアルファロメオT33/2といったワークスマシンの日進月歩の性能向上には当然ながらついていくことはできなかった。しかし、当時としては驚異的とも言える、わずか580 kgの車重に210馬力というスペックで市販されたということ自体が奇跡であり、ポルシェの念持であったのだ。
ポルシェ906という特別な存在こそが、世界中のワークスに脅威を与え技術力を飛躍に高めたことを思うと、今回の流札という結果はかなり残念な気がしてならない。
※為替レートは1ドル=159円(2026年3月22日時点)で換算

























































































