ブランドをフィアットからランチアへ上方移行! ピニンファリーナが描いた流麗なミッドシップ
2026年4月10日から12日にかけて、千葉・幕張メッセで「オートモビル カウンシル 2026」が開催されました。今年のテーマ展示「Designed by ピニンファリーナ」から、イベントのアイコンとして注目を集めた「ランチア モンテカルロ」をピックアップします。名門カロッツェリアが手掛けた美しいミドル級ミッドシップスポーツの誕生の経緯と、その数奇な運命について深掘りします。
X1/9の兄貴分X1/20として開発されたミドル級ミドシップ「ランチア ベータ モンテカルロ」の誕生
1975年のジュネーブショーにてデビューした「ランチア ベータ モンテカルロ」は、量産FF転用ミッドシップの元祖ともいうべき「フィアット X1/9」のコンセプトを上方移行した、ミドル級ミッドシップスポーツだ。
「X1/20」の社内コードネームとともに開発がスタートした当初は、X1/9の兄貴分にあたるスポーツカー、あるいは「フィアット 124スパイダー」の後継モデルとして、フィアット ブランドで販売することが予定されていたという。しかし結局は、ドライブトレーンの供給源となった「ランチア ベータ」の1バリエーションモデルとしてリリースされることになった。
ボディのデザインとコーチワークは、フィアット 124スパイダーと同じく名門ピニンファリーナが受託した。同社のレオナルド・フィオラヴァンティとパオロ・マルティンのコンビが、「フェラーリ BB」などのエッセンスを巧みに生かした流麗なプロポーションとする。そのいっぽうで、同時期に開発が進められていた「ランチア ガンマ」と共通のデザイン言語も与えられ、黒いプラスチックをあしらったノーズなどのディテールによって、サイズ相応の可愛らしさも備えた魅力的なスタイリングを実現していた。
横置き搭載されるエンジンは、ベータのトップモデル「2000」用ユニットだ。名匠アウレリオ・ランプレーディが設計した排気量1995cc直列4気筒DOHCを118psまでチューンしたもので、弟分のフィアット X1/9と同様に、ダンテ・ジアコーザ式の横置きドライブトレーンとともにミッドシップへ搭載した。
大規模マイナーチェンジを受け、生産中止から2年振りに「第2シリーズ」として再登場したものの……
ところが、予想以上に高価になってしまったことも相まって、ランチア首脳陣の期待ほどには実績が上がらなかったことから、1978年初頭にいったん生産を中止する。1980年、ベータから独立した「ランチア モンテカルロ」のモデル名に変更されたかたわら、大規模なマイナーチェンジを受けて2度目のデビューを図った。
「セリア セコンダ(第2シリーズ)」とも呼ばれる新生モンテカルロは、この時期のC.I.戦略に合わせてラジエーターグリルをランチア伝統の盾型スタイルに換える。それと同時に、斜め後方の視界を確保するためリアクォーターのフィンにはウインドウが設けられた。
また、かなり斬新な意匠だった13インチのアロイホイールは、14インチに拡大されると同時にベータ クーペなどと共用のクラシカルなものに換装。合わせて、ブレーキディスク径も拡大されたという。
さらには、エンジンも圧縮比を上げるなどのチューンで若干のパワーアップが図られ、120psとされた。ところが、これらの措置をもってしても売れ行きは好転することなく、1984年ごろには静かにカタログから消えることになったという。
その生産台数は総計7798台(諸説あり)と、フィアットとベルトーネの両ブランド総計で約16万台が生産されたX1/9とは比べるべくもなかった。
市販モデルのセールスこそ振るわなかったモンテカルロだが、その内に秘めたポテンシャルは本物であった。この車体をベースに開発されたグループ5カー(シルエットフォーミュラ)の「ランチア ベータ モンテカルロ ターボ」は、強豪「ポルシェ 935」を相手に世界耐久選手権で大暴れし、1980年と1981年にクラス優勝を飾るという輝かしい実績を残している。
ピニンファリーナ一流の美しいスタイリング、あるいはモータースポーツでも実証されたミッドシップのシャープなハンドリングには当時からコアなファンも多く、さらに半世紀を経た近年では1970年代から80年代を代表するミドル級スポーツカーのひとつとして、敬愛の対象となりはじめているのだ。
愛好家によって維持される極上の個体はメディア露出多数の「日本で最も有名なモンテカルロ」!
ちなみに、今回の「オートモビル カウンシル」のテーマ展示に飾られた個体は、セコンダ セリアの「ランチア モンテカルロ」だ。日本には新車として輸入され、のちに「ランチア クラブ オブ ジャパン」会長にもなる愛好家、H氏が長らく所有してきた。
サーキットではF1マシンも操るかたわら、自らメンテナンスや重整備も手掛けるH氏のもと、このモンテカルロはオリジナル性を保ったまま現在まで大切に乗られ、また数多くのメディア出演もあったことから、日本国内ではもっとも有名な「モンテカルロ」として知られている。















































