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「ダイムラー」と「ベンツ」なのになぜ「メルセデス」? 世界一歴史ある自動車メーカーはどのようにして誕生した?

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TEXT: 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)  PHOTO: メルセデス・ベンツAG/メルセデス・ベンツミュージアム/妻谷コレクション

スリー ポインテッド スターの起源

スリー ポインテッド スター(三星)は陸、海、空を意味する(上=空、右=陸、左=海)。つまり、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようとの志を示し、1909年にはトレード・マークとなっていた。

一方、ベンツ社のマークはBENZという文字を月桂冠で囲んであった。この月桂冠の意味するところはレースの覇者。1926年にこの両社が合併してから、ダイムラー社の三星とベンツ社の月桂冠を合わせたものがエンブレムに、また三星だけがラジエター・マスコットにも取り付けられた(スリー ポインテッド スターは1923年に特許取得)。

ゴットリーブ・ダイムラーが描いたスリー ポインテッド スターとは?

1872年にゴットリーブ・ダイムラーは、妻にある1枚の絵葉書を送った。この絵葉書に描かれていたのはケルンの街並であったが、ダイムラーはあるものを描き足して送った。それは絵葉書に自分の家を見出し、その中央上部に描かれた星。そして、ダイムラーは併せて「この星が、私の会社の上で輝く日がいつかやってくる」と書いたといわれている。

ダイムラーの2人の息子はこのエピソードを思い出し、これに興味を持った当時のダイムラー社の取締役会が1909年にトレード・マークとした(この時すでに、創業者のゴットリーブ・ダイムラーは他界)。そして、このダイムラーの描いた星が、メルセデス・ベンツのシンボル・スリー ポインテッド スターとなったのだ。

「メルセデス・ベンツ」の由来

現在のメルセデス・ベンツグループ社製の自動車には、すべてメルセデス・ベンツの商品名が冠せられている。しかし、1926年にダイムラー社とベンツ社が合併する以前、ダイムラー社の商品名はダイムラー、一方ベンツ社の商品名はベンツであった。特筆すべきは、当時のダイムラー社の強力な販売会社を経営するエミール・イエリネックが、愛娘メルセデスの名を取って商品名をダイムラーからメルセデスにした(詳細は後述)。

彼はオーストリアのビジネスマンであり、フランス・ニースでオーストリア・ハンガリー帝国の領事もしていた。メルセデスの商品名は1900〜1901年に作られ、1902年に正式に商標名として登録される。そして、1926年ダイムラー社とベンツ社の合併後、その商品名のすべてをメルセデス・ベンツと名付けられ、現在に至っているのだ。

実業家エミール・イエリネックの申し出がメルセデスという車名につながる

19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、オーストリア出身の実業家エミール・イエリネックは、自動車にも非常に興味を持っていた。

イェリネック

居を構えていたバーデン(ウィーン近郊)やニースの人々をはじめ、果てはドイツ・カンシュタットの当時のダイムラー社にまで、自動車の速さやエンジン出力、品質、軽量化などを説いて回った。

なぜなら、彼の言葉の端々には、理想のクルマを手に入れたいとの情熱が込められていたからだ。すでに1899年の初めから、「ムッシュ・メルセデス」の名でコート・ダジュールのレースに参戦した実力があった。彼はダイムラー車を駆る名ドライバーとして、大金融財閥のロスチャイルド男爵らと並ぶ存在。そこは実業家として、この趣味を仕事に活かしたいと考えていた。

しかし、ダイムラー車の奇妙なメカニズム(彼にとってはスピード不足)に加えて、その名前にもうんざりしていた。つまり、「ダイムラー」という如何にもドイツ的なこの名前、フランスでは堅すぎると考えていたのだ。

さすがは、セールスマンのパイオニアと言われるだけあって、ダイムラー社に大量発注(まとめて36台)の条件として、自分が販売するクルマを「メルセデス」なる名前にすることを申し入れた。イエリネックが名付けたこのメルセデスという女性の名前の由来は、どこへ行っても自慢の種としていた愛娘の名前(当時10歳)だった。

ダイムラー社の役員は、これ以降、自社の車をすべてメルセデスと呼ぶことにし、1902年に正式に商標名として登録。以後、ダイムラー社のメルセデスは、フランスだけでなく、ベルギー、ハンガリー、そしてアメリカにまでめざましい売れ行きを示した(イエリネックはダイムラー社の役員にも選出され発展に貢献し、1909年に引退)。

「Mercedes-Benz」を正式にはどのように呼ぶのか?

メルセデス・ベンツ、メルツェデス・ベンツ、マーセデス・ベンツ、単にメルセデス、それともベンツ(発音しやすいから)? 昔の日本読みでは、マーセデス・ベンツ、そして単にベンツとよく呼んでいた。しかし、今の日本でもメルセデス・ベンツと呼ぶのが正式。同じ発音上の理由でアメリカ人がメルセデス・ベンツと発音すると、「メルセイデイーズ・ベンツ」と聞こえる。ドイツ語では「メルツェデス・ベンツ」と発音。このように由緒あるMercedes-Benzの車名の歴史を正しく理解していれば、単にメルセデスやベンツではなく、正式にメルセデス・ベンツと呼ぶ事になるといえる。

メルセデス・ベンツの主な歴史(1986年の100周年記念まで)

1886年 ダイムラーが世界初の自動4輪車、ベンツが世界初の自動3輪車を完成
1926年 ダイムラー社とベンツ社が合併しダイムラー・ベンツ社、商品名はメルセデス・ベンツとなる
1927-31年 スポーツカーS、SS、SSK完成(ポルシェ博士の設計)
1936年 世界初のディーゼル乗用車260Dを開発
1946年 170シリーズ生産開始(170V、170D、170S、170DS等)
1948年 ウニモグの製造始まる(万能車:Universal Motor Gerätの略)
1954年 300SLに初めて燃料直接噴射装置を装備
1959年 2.2Lクラスのニューモデルを発表(220Sb等)
1961年 自動車発明から75周年記念行事として、新MBミュージアムがオープン
1963年 グランド・メルセデス600生産開始
1969-70年 C-111を発表(3、4ローター・ロータリーエンジン試作車)
1971年 安全実験車(ESF)を開発
1972年 クルマにおける新しい次元を目指して280S、350SE(Sクラス/W116)を生産開始
1974年 画期的な5気筒ディーゼルエンジンを搭載した300Dを発表
1976年 W123を発表(200、230、250、280、280E、200D、220D、240D、300D)
1978年 ディーゼルターボC111-III、新たに世界スピード記録更新(325km/h)。南アメリカラリー、1~5位を独占優勝
1982年 190シリーズ/W201を発表
1986年 自動車発明から100周年記念行事を世界各地で開催

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  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 1949年生まれで幼少の頃から車に興味を持ち、40年間に亘りヤナセで販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特にメルセデス・ベンツ輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版のカタログや販売教育資料等を制作。またメルセデス・ベンツの安全性を解説する独自の講演会も実施。趣味はクラシックカー、プラモデル、ドイツ語翻訳。現在は大阪日独協会会員。
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