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「ハチロク」より売れた「AE92レビン/トレノ」! FF化してもバブル期の新時代クーペとして絶好調でした【カタログは語る】

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

28年・7世代にわたる一大シリーズだったレビン/トレノ

1972年に登場したトヨタ「カローラ レビン/スプリンター トレノ」は、2000年に最後のモデルがピリオドを打つまで、じつに28年・7世代にわたって存続した。初代が登場した頃といえば筆者はとっくに物心ついていた……というよりとっくにカーマニアになっていたから、週末に新型車の発表展示会が開催されるのを新聞やTVで知ると、愛車(=自転車)をディーラーに走らせてはカタログ集めをしたもの。時代考証的に言うとそんな世代だから、レビン/トレノといえば、個人的に真っ先に思い浮かぶのは、やはりオーバーフェンダーが精悍だった最初のTE27型だったりする。

先代AE86より販売面では成功していたAE92を振り返る

個人の思い出はさておき、広く一般的にもっとも有名なレビン/トレノといえば、やはり4代目のAE86型だろう。(筆者は不勉強なのだが)漫画・アニメ『頭文字D』の主人公のクルマとして(レビンではなくトレノというところが渋い)後年、世界的に有名になったりもした。と同時に、AE86がレビン/トレノにとって最後のFR車だった点でも忘れじの1台だろう。

そのAE86のフルモデルチェンジ版として1987年に登場したのが5代目のAE92型だった。うかつにも筆者が資料として保管しているAE92のカタログは手薄で、今回、写真でお見せできるのは1987年5月版のスプリンター トレノのみ。この先もしもカローラ レビンも発見できれば、そのときにはご紹介したいが、今回はそのようにご容赦いただくとして……。

FF化に際してはトヨタも慎重だった?

ともかくカタログを改めて開いてみると、まずAE86のカタログとはずいぶん雰囲気が違うことに気づく。最初の見開きの(よく見ると合成写真だが)深緑の林を背景にスーパーホワイトIIのトレノ1600GT APEXが佇む絵柄など、どことなく東山魁夷画伯が描いた白馬と森の絵「緑響く」のように静謐で、その意外性に驚かされる。

「つややかに。あでやかに。新トレノ誕生」、「FFエレガント・クーペ」のコピーも穏やかだ。参考までに86トレノの最初のカタログのコピーは「誕生、SEXYトレノ」で、それに比べても体温はむしろ低め。で、AE92のカタログのボディコピーの書き出しには「我々はクルマを語る時、数字を気にしすぎてはいないだろうか」で始まり、はたして想定ユーザーの若い世代が腰を据えてこの文面を読み込んだかどうかは、ちょっと想像しにくい。

だが、それもこれも、このAE92トレノ(とレビン)は、直前のAE86までのFRからFFへと切り替わった最初のモデルだったことに関係していたのだろう。思うにスポーティモデルであるトレノ(とレビン)のFF化を推しとすることに、トヨタ自身どこかためらいがあったのではなかったか? AE92登場の1987年といえばすでにミッドシップの「MR2」(1984年)は登場済み。それに対してAE92では、カタログの4輪独立サスペンションの紹介ページで、「キビキビとした運動性能、狙い通りに走る安定性、矢のような直進性能」などと紹介しつつも、決してFFであることの説明、アピールは(筆者の見落としがなければ)どこにも見当たらない。

もちろん第一級の性能で仕上げられたクルマであることは間違いないが、「走りはいつのまにか深まっていく」などと、ユーザーの認知度が高まるのを時間をかけて待つ方針にしたかのようなコピーも。筆者もリアルタイムで登場を見ていたクルマだったが、実際に当時はそこまで大事にはならず、むしろ販売は好調だったと記憶しているが、トヨタも案外と慎重だったのかもしれないとは、いま思う印象だ。

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