設計図を作ってからフルスクラッチビルド&塗装
既存のパーツは使わず、フルスクラッチビルドなので、金属で作ってもバルサ材で作っても苦労は大差ないが、まず設計図を作成してから作業を進めているため、フェラーリの関連書籍や写真などの資料集めが大変なのだという。そして、技術的に難儀なのはパーツを塗装することで、仮組みし、各部のおさまりを確認してから再びバラして塗っているため、ひと苦労とのことだった。
「自分の手間以外で必要なコストは、バルサ材代、カッター代、塗料代、といった感じですが、1台あたりでタミヤのスプレーを12~13本使うので、それなりの金額になります。ボディカラーが赤の場合は、イタリアンレッドを使っています。1回吹いて磨いて、という作業を繰り返しながら色をのせており、5回吹いた赤よりも10回吹いた赤のほうが深みがあります。ミハエル・シューマッハのことが好きだったので、一番最初に作ったのは2000年ぐらいのときに彼がドライブして優勝したフェラーリのF1マシンです。F1マシンは2004年ぐらいまで作りましたね」
フェラーリの輪を通じて実車も所有することに
最初、1/8スケールでボディの外側だけを作っていたとのことだが、なんとなく迫力が足りず、1/5スケールにしてみたら今度は大きすぎだったので、数台作るうちに1/6スケールに落ち着いたそうだ。細かい部分までバルサ材で作るので、それなりの大きさが必要なのだ。1/5スケールだと1年に1台しか作れないが、1/6スケールだと1年に2台作れるので、そのペースが自分に合っているとも話してくれた。現在までに40台ぐらい作っている。
「初期の頃は、ある程度のところまで作って、それを大手ミニカーメーカーに持参し、先方の偉い人や開発スタッフの方々に良し悪しを評価してもらいました。褒めてもらったりして自信がついたので、本格的に作ることにしました。この訪問によって、ミニカーメーカーとの輪が広がりましたね。そして、最初からいきなり個展を開催することはできなかったので、4~5年分のストックを溜めておいて、それを皆さんに個展というスタイルで披露しました。本物のフェラーリを所有しているオーナーの方々もたくさん来てくれて、仲よくなって愛車を見せてくれるようになり、こちらの輪も広がりました」
と語る山田さんだが、そんなフェラーリの輪を通じて、ついに実車のオーナーになる機会が訪れたという。
「ツーリングにもお邪魔するようになり、軽井沢のカフェに行ったときに、ディーノを買う人がフェラーリ328GTSを手放すので、それを買ったらどう? という話が出て、65歳のときに実車のオーナーになりました。エンツォ・フェラーリが生きていた時代に生産されたクルマだけをバルサ材で模型にしていますが、私が購入した328GTSは1987年式なので、エンツォが存命中にデリバリーされたクルマです。3月28日生まれなので、それも何かの縁ですね」
まだまだお元気だが、山田さんは傘寿を迎えた身であり、今回のような規模での個展は最後になるかもしれないとのことだった。とはいえ、エンツォ・フェラーリと同じ90歳まで頑張るとも話してくれた。ならば1年に2台ペースの制作を持続できればあと20台以上、2年ごとに開催している個展のほうはあと5回ほど実施できる計算なので、また高崎シティギャラリーを訪問したいと思う。