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正真正銘ホンモノのフォード「GT40」が日本に棲息! 1980年代バブル期に日本に輸入された1台のヒストリーとは?

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

  • フォード GT40:元々コンペティションモデルとして生産されたもので、シェル石油の広告キャンペーンに使用された個体
  • フォード GT40:通気口の付いたレーシングバケットはだいぶやれてはいるものの、それが余計にオリジナルを印象付けていた
  • フォード GT40:輸入された当時は濃紺だったが、芝らしくして現在の姿に
  • フォード GT40:ハリブランドのホイールを履かせて展示されていた
  • フォード GT40:コンペティションなオーラを放っているのはホンモノならでは
  • フォード GT40:4.7LのV8エンジンを搭載
  • フォード GT40:ドアヒンジの下の部分にシャシー番号1035を確認することができた
  • フォード GT40:燃料フィラーキャップもオリジナルらしきアルミ地がむき出しのままとなっている
  • フォード GT40:長くイギリス国内に存在していた
  • フォード GT40:インテリアなどは全く手を入れられていない

イベントに登場する真正GT40は極めて稀少

映画『フォードvsフェラーリ』にも登場したフォード「GT40」は、1960年代のレースで常勝だったフェラーリを破るためにフォードが開発したレーシングカーです。限りなくホンモノに準じたレプリカも多いなか、今回紹介するモデルはファクトリーから送り出された稀少な1台でした。

GT40コンペティションシャシーは約100台ある

フォード「GT40」。クルマ好きなら1度は耳にしたことある1960年代のレーシングシーンを沸かせた名車である。フォードがスポーツプロトタイプを作るにあたり、フェラーリを買収しようとしたという話は有名であるが、ローラ GTをベースにフォードがこのクルマを完成させた1964年当時は、中々勝利を得ることができなかった。

しかし、熟成が進むにつれてその実力を発揮。大改造されて進化したMk IVを含めれば、1966年から1969年まで4年連続でル・マン24時間を制したサクセス・ストーリーを持つモデルである。
GT40の生産台数は改良型Jで始まるシャシーナンバーや、ロードカーとして生を受けたM3で始まるシャシーナンバーなどを含めると、総計133台がカウントされている。この中にはミラージュが作った軽量シャシーや、ガルフオイルが製作した軽量シャシーなども含まれる。

しかもこの中には一旦刻印されたシャシーナンバーから転用されて別のナンバーで作り直されたクルマなども含まれているため、実際には正確に何台が製造されたかその数を割り出すのは難しい。ただ、GT101から始まる最初の12台はプロトタイプであり、その後の4桁のP1000から始まるGT40が、正式なコンペティションカーとして市販もされたシャシーであり、そのナンバーを持つモデルは93台。まあ、100台弱と言ったところが正しいGT40コンペティションシャシーの数値のようである。

この真正GT40のシャシーナンバーを持つ、いわゆる本物のフォードGT40が、日本には少なくとも2台棲息する。このうちの1台、#1035が今回オートモビルカウンシルに姿を現した。

1980年代に日本に輸入された

このクルマは元々コンペティションモデルとして生産されたもので、シェル石油の広告キャンペーンに使われた後、個人オーナーに渡り、長くイギリス国内に存在していた。そしてこの時代のコンペティションカーからロードユースのモデルに仕様変更され、ボラーニのワイヤーホイールを履くなど、ロードバーションらしい出で立ちに変わっている。当時このクルマを所有していたのは、ナイジェル・ドースなる人物。この御仁、フォードGTのオーナーとしてよりも、フェラーリのコレクターとしての名声の方が大きいようだ。

その後このクルマは1度アメリカに渡り、そこから日本にやってきた。1980年代のことと推測される。このクルマにレース歴は確認されていない。日本にやってきた頃は比較的濃いめのブルー(濃紺)に塗られていたが、その後に現在のカラーリングとなり今に至っている。インテリアなどは全く手を入れられていないようで、通気口の付いたレーシングバケットはだいぶやれてはいるものの、それが余計にオリジナルを印象付けていた。また、ドアヒンジの下の部分にシャシー番号1035を確認することができた。

オートモビルカウンシルにはハリブランドのホイールを履かせて展示されていたが、オーナー曰く、元々履いていたボラーニのワイヤーホイールのレストアが間に合わずに、ハリブランドを履かせたとのことで、ちゃんとボラーニのワイヤーホイールもお持ちだとか。

日本国内ではイベントなどでも多くのGT40を見かけることがあるが、ほとんどはレプリカもしくはそれに準ずるモデルであって、このクルマのようにちゃんとシャシーナンバーが確認できる真正GT40は極めて稀少なのである。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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