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天才デザイナー「ジウジアーロ」が手掛けた!いま見てもカッコいいクルマ10選

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TEXT: 高桑秀典(TAKAKUWA Hidenori)  PHOTO: 高桑秀典(TAKAKUWA Hidenori)

  • オートモビルカウンシル2025では「Designed by Giorgetto Giugiaro 車両展示」として厳選された10台が並べられ、来場者を楽しませた
  • バンディーニ ドーラ(2020年デビュー)
  • バンディーニ ドーラ(2020年デビュー)
  • バンディーニ ドーラ(2020年デビュー)
  • バンディーニ ドーラ(2020年デビュー)
  • イタルデザイン アズテック(1988年デビュー)
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  • DMC デロリアン(1981年デビュー)
  • フィアット パンダ(1980年デビュー)
  • フィアット パンダ(1980年デビュー)
  • ランチア デルタ(1979年デビュー)
  • ランチア デルタ(1979年デビュー)
  • いすゞ アッソ ディ フィオーリ(1979年デビュー)
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  • フォルクスワーゲン ゴルフ(1974年デビュー)
  • フォルクスワーゲン ゴルフ(1974年デビュー)
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  • マセラティ メラクSS(1972年デビュー)
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  • アルファ ロメオ ジュリア スプリントGT(1963年デビュー)
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  • DMC デロリアン(1981年デビュー)
  • BMW M1(1978年デビュー)
  • いすゞ アッソ ディ フィオーリ(1979年デビュー)

ジウジアーロの傑作品を振り返る

10周年記念イベントとして過去最大規模で開催されたオートモビル カウンシル2025。同イベントでは、Giorgetto Giugiaro展「世界を変えたマエストロ」の一環として、ジウジアーロ氏がデザインした名車たちが一堂に会した「Designed by Giorgetto Giugiaro 車両展示」も実施。歴史に残る名車、歴史を変えた傑作の中から厳選された10台が主催者テーマ展示としてキレイに並べられ、ギャラリーたちを楽しませました。天才と称されるマエストロの作品を1台ずつ紹介します。

バンディーニ ドーラ

2020年にデビューしたバンディーニ ドーラは、披露される予定だったジュネーブ・ショーがコロナ禍によってキャンセルになり、オンラインでの発表にとどまっていた。今回のオートモビル カウンシル 2025がパブリックデビューの場となり、事実上のワールドプレミアであった。

イタリアのバンディーニは1946年創業のスポーツカーメーカーで、1992年に一旦途絶えたが、現在ジウジアーロ父子が率いるGFGデザインと手を組んでドーラを生産することで再スタートを切ろうとしている。

バンディーニのDNAはライトウェイトのバルケッタであり、EVとして甦ったドーラのデザインもその文脈上にあるといえる。フロントのホイールアーチから立ち上がったピラーが優雅な孤を描きながらリアエンドに達し、モノフォルムを形成しており、このディテールも美しい。フルカーボンのアンダースキンには、システム総出力が536psとなるツインモーターが前後に搭載されており、0-100km/h加速約3.3秒を実現している。

イタルデザイン アズテック

1988年にデビューしたイタルデザイン アズテックは、1988年のトリノショーにてイタルデザインのブースで披露された。運転席と助手席が独立したツインキャノピー・スタイルが最大の特徴で、ドライバーとコ・ドライバーはインカムを通じて会話した。

イタルデザインの共同創設者である宮川秀之氏が率いるトリノのコンパクト社がアズテックの独占販売権を取得。50台を生産し、日本で限定販売することが決まっていたが、ミッドシップの位置に搭載するアウディ製直列5気筒エンジンのクーリング問題の解決に時間がかかり、その対応に追われるうちにバブル景気が崩壊。そのため、生産計画が頓挫してしまった。駆動系は、ランチア デルタ インテグラーレから流用したフルタイム4WDだ。

DMC デロリアン

1981年にデビューしたDMC デロリアンは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場し、劇中でタイムマシンとして活躍した夢のクルマだ。メカニズム面を担当したのはロータスで、エスプリから派生したシャシーを採用。その上にイタルデザインが手がけた2シーター/ガルウイングドアのボディを載せていた。

特徴的だったのはボディパネルにステンレス鋼が用いられたことで、ヘアライン加工された無塗装の状態で全車が工場をラインオフ。ステンレスキッチンと同じように表面に傷がつきやすいので、ゴシゴシと磨きすぎるようなメンテナンスは厳禁だといわれた。

市場投入直後からクオリティの低さ、PRV V6エンジンのトラブル、創業者が麻薬所持で逮捕されるなどの問題が重なり、わずか1年でDMC(デロリアン・モーター・カンパニー)が倒産してしまった。

フィアット パンダ

1980年にデビューしたフィアット パンダは、度重なる工場のストライキやオイルショックなどを理由に新車の開発が進まなかったフィアットの立て直しのために投入されたベーシックカーである。当モデルの開発にあたりフィアットのカルロ・ディ・ベネデッティがジュジャーロ氏にオーダーした条件は、126用エンジンの流用、コスト、重量という3つのみだったといわれ、あとはすべてフリーハンドでのデザインを任されたのだという。

「あの時代だからこそ自由にできた」とはジウジアーロ氏のコメントで、内外装の意匠のみならず、基本レイアウトまで彼の手中にあった。だからこそ、自由な発想と知恵を存分に発揮できたのであろう。左右非対称のグリル、多彩なシートアレンジなどを採用しつつ、簡素な足まわりでありながらもチープなだけで終わらない何かを実現できたことが商業的大成功につながった。

ランチア デルタ

1979年にデビューしたランチア デルタは、Asso di Picche(アウディ80をベース車としたプロトタイプ)のデザインが後年進化して生まれたクルマである。ボディの先端から後端まで一直線に伸びる水平のキャラクターラインやエッジの立った四角いフォルムなど、両モデルは共通点が多い。フィアット傘下に入ってランチアらしさを失いつつあった名門だが、それまでのモデルと同じように技術的に先進性が高く、エレガントかつスポーティであるデルタによって、ブランドイメージを取り戻すのが狙いであったとジュジャーロ氏は語っている。デルタは、その後WRCの世界で活躍するが、1981年に4輪駆動モデルのプロトタイプを製作したのもイタルデザインであった。

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