日本人レーサー初のル・マン勝者、関谷正徳氏がドライブ!
1971年にフィアット・グループ傘下に入ったアバルトは、スポーツカーレース部門を「オゼッラ」に譲渡。とくに巨額の費用を要する3000ccのトップカテゴリーは、事実上のお蔵入りとなってしまう。
そしてこのアバルト 3000SPは、長らくフランスの有名なコレクターのもとに所蔵されていたそうが、数年前から「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」や「ヴェルナスカ・シルヴァーフラッグ」ヒルクライムなど、欧州の一流イベントに姿を見せるようになっていた。
これらのイベントでは、かつてアバルトのエースドライバーだったアルトゥーロ・メルツァリオ氏がステアリングを握ったとのこと。いっぽう日本の「グランプレミオ・スコルピオニッシマ」でデモランのドライバーを委ねられたのは、日本人レーシングドライバーとしては初めてル・マン24時間レース総合優勝を勝ち取った関谷正徳氏だった。
ただ、アバルトと関谷さんといえばあまり関りがなさそうと思われがちだ。じつは関谷さん、この日の会場である富士スピードウェイ・ショートコースの設計者であるとともに、現代アバルトのオーナーのために開催されてきたステランティス・ジャパン公式のドライビングスクール「アバルト・ドライビングアカデミー」の主任講師として、カリキュラムも作成した人物。これまでにも新車/クラシケの双方で日本のアバルト愛好家たちとの親交が深いことから、この名誉あるドライビングを担当することになった。
アバルトのV8マシンが日本のサーキットを走る
ランチタイムの終了後、ショートサーキットのホームストレートに参加車両全台を収めた記念写真を撮影したのち、いよいよ関谷氏による3000SPのデモランがスタート。当初はマシンとの距離感を確かめるようにゆっくりしたペースで流していたが、次第にスピードもサウンドもヒートアップしていく。そして、その雄姿とたたきつけるように強烈なV8サウンドに、会場はすっかり魅了されてしまったのだ。
せっかくなので、デモラン終了後に関谷さんをつかまえて、アバルト 3000SPの印象について伺ってみたところ、まずは意外にしっかりしたつくりであることに感心したとのこと。そのかたわら
「まだシェイクダウン走行に近い状況なせいか、V8エンジンは本領を発揮している感じではなさそう……」
とお答えをいただいた。
また、これまで関谷さんが乗る機会のあった「トヨタ7」と比べると……? ちょっと無茶ぶりをしてみたところ
「同じ時期に作られたV8のレーシングカーだけど、グループ7のトヨタとグループ6のアバルトじゃ、まるで似てないなぁ……(苦笑)」
ともあれ、この日のデモランを思い出すにつけ、アバルトのV8マシンが日本のサーキットを走るという白日夢のような出来事が、実際に起こったことであると今いちど認識させられる。
やはり「グランプレミオ・スコルピオニッシマ」は、オーナーズクラブのプライベートイベントとは思えないほどに、ゴージャスなものだったと認めざるを得ないのである。




































































