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ダットサンを1台でも多く日本に残したい!その思いの1台がアメリカから帰国したダットサン「1500 スポーツロードスター」

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TEXT: 奥村純一(OKUMURA Junichi)  PHOTO: 奥村純一(OKUMURA Junichi)

親子で挑むミルキーウェイ最後の舞台

そして今回の開催がファイナルイベントとなる「ミルキーウェイ・ブルーアイランド・ラリー」(以下、ミルキーウェイ)。亮人さんがエントリーしたこのSPLも、そうして里帰りしたクルマの1台だ。父の弘章さんが

「これからはゆっくりとダットサン・ロードスターを味わおう」

と、それまで乗っていたSR2000から乗り換えたクルマだ。

このミルキーウェイは、亮人さんにとって幼少期から親しんだイベントだ。

「父のミニ・クーパーの後ろに乗って行ったことと、いろんな種類のクルマがあるなと、ぼんやりした記憶しか残っていませんが、多分この時が初めてのミルキーウェイだと思います」

そう言いながら指差した先のトランクには、1989年当時のミルキーウェイのプレートがあった。家庭を持つようになってからは、親子それぞれでエントリーしていたが、今回は最後ということで初めて親子ふたりにエントリーした。

「今回は5年ぶりのエントリーです。いつもは家族それぞれで楽しんでいましたが、今回は親子ふたりでミルキーウェイを見届けたいな、という気持ちもあったんですよ」

じつは、このミルキーウェイの事務局で、イベントを盛り上げる重要なキーマンであった“ケンちゃん”こと小林建一さんが夏に急逝した。それが大きな理由でミルキーウェイが最後となったのである。父・弘章さんとは幼なじみであり、親子それぞれがさまざまな思いを胸に秘めて参加した。

亮人さんがハンドルを握り、弘章さんがコマ図を手にルートを探る。そんなやり取りから、遠い幼少期の、クルマが好きになった原点を思い返したという亮人さん。結果も堂々の総合5位という好成績を残すことができた。

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