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久留米発「石橋正二郎記念館」がリニューアル! ブリヂストン創業者の偉大な功績を学ぶ記念館

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TEXT: 酒寄俊幸(SAKAYORI Toshiyuki/gasgraphix)  PHOTO: 酒寄俊幸(SAKAYORI Toshiyuki/gasgraphix)

  • 石橋正二郎記念館は、開館10周年を記念し、約半年間の改修作業を経て2026年2月14日にリニューアルオープンした
  • 2台の展示車両のうち、1台はニッサンプリンス「スカイライン GT-B S54型」
  • 株式会社ブリヂストンの創業者・石橋正二郎氏は、福岡県久留米市にて生まれた
  • リニューアルされた展示コーナー。事業の歴史を、商品や模型を使って分かりやすく解説している
  • 石橋正二郎記念館の外観。2016年に、50mプールの跡地に建設されていた石橋美術館別館を改修し、この記念館がオープンした
  • 公益財団法人石橋財団が所有する美術品にまつわる書籍たち
  • 石橋正二郎記念館の2階にある展示室入口
  • 家業であった志まやを引き継ぎ、足袋の製造に専念。その後地下足袋の製造販売を手掛けたことが、その後のゴム製品事業のきっかけとなったことを視覚的に展示
  • ブリヂストンサイクルとして、自転車、オートバイ製造業にも着手
  • 石橋正二郎氏は、プリンス自動車工業の株主として、同社の発展と名車「スカイライン」の命名にも携わった
  • 当時のカタログ資料なども復刻展示さている
  • こちらは自転車、オートバイ事業の資料となる
  • もう1台はプリンス「グロリア スーパー6 41型」が展示されていた。これら2台の展示は、福岡県久留米市にある私設博物館「セピアコレクション」の協力によるもの
  • 志まや時代の看板の復刻ミニチュアや、当時のチラシも再現。国産の自動車タイヤ製造業参入を決めた、当時の報道記事も拝見できる
  • アサヒ足袋時代の宣伝用チラシ
  • 1930年代に制作されたブリヂストンタイヤのパンフレット
  • 1935年にはゴルフボールの製造にも着手
  • ブリヂストンゴルフボール、発売当時の広告
  • ブリヂストンが開発したフォームラバー、「エバーライト」と名付けられた寝具の広告
  • 石橋正二郎記念館がある石橋文化センターの構想図は、石橋正二郎氏自らが直筆で描いた
  • 1956年、オープン当時の石橋文化センターの園内模型
  • こちらのミニチュアは、開館当時の石橋美術館( 右 )と2002年の石橋美術館( 左 )を再現。現在の久留米市美術館の外観は、この当時のままの姿で残されている
  • リニューアルにより導入された55インチ大型タッチディスプレイ。石橋正二郎氏の人となりや、その思いを辿る内容が溢れている
  • 石橋正二郎氏の生涯が、年表として簡潔にまとめられ展示されている
  • 展示コーナー奥にも大型ディスプレイを設置
  • 石橋正二郎氏にまつわる記録や、石橋文化センターの活動などを、マルチメディア資料や映像によって閲覧できる
  • 映像視聴コーナーは、今回のリニューアルにより、車イスの方でも観覧可能な充分なスペースを確保
  • 石橋文化センターメインゲートの壁面に刻まれた、石橋正二郎氏の言葉
  • 1956年当時、石橋文化センターが久留米市へと寄贈されたことを記すモニュメント
  • 「石橋正二郎記念館」がある石橋文化センターのメインゲートを抜けると、「みどりのリズム」と名付けられたモニュメントが出迎えてくれる
  • 噴水の先にあるのが、1956年の寄贈当初は石橋美術館として開館した、現在の久留米市美術館である
  • 石橋財団のコレクションは、印象派、日本近代洋画、現代美術や女性作家など多岐にわたる。この展示室は、一般来場者でも撮影可能な印象派プラスと近世美術プラスのコーナー
  • 石橋正二郎氏は、同郷である久留米市出身の芸術家の作品収集にも力を注いだ。こちらは、美術館建造のきっかけともなった青木繁の作品「海の幸」(1904年/油彩/重要文化財)
  • 明治から昭和期を代表する久留米市出身の洋画家、坂本繁二郎のアトリエ。坂本は、石橋正二郎氏が高等小学校時代に、図画の先生として関わっており、それが後の美術品に興味をもつきっかけとなった
  • 坂本繁二郎のアトリエは福岡県八女市に建造されていたが、1980年に石橋正二郎氏の長男である石橋幹一郎氏により、石橋文化センター内に移築復元されている
  • 石橋文化センターには広大な庭園もある。池の向こう側にあるレンガ造りの建物が、「石橋正二郎記念館」だ
  • 園内の和のゾーンと呼ばれる回遊式日本庭園も、石橋正二郎氏自らが構想している。楽水の池には白鳥の姿も見られた
  • こちらは1963年に完成した石橋文化ホール。NHK技術研究所が音響設計を担当。ブリヂストン社員で構成される「ブリヂストン吹奏楽団久留米」の定期演奏会もここで開催されている
  • 石橋正二郎記念館のリニューアルオープンに合わせて、石橋正二郎氏にゆかりのある名車展示が、2月14日(土)〜15日(日)の2日間にわたって実施された
  • 記念館のエントランスホールには、久留米美術館が収蔵する石橋正二郎氏のコレクションに関する書籍が並ぶ
  • 2026年2月14日(土)から5月24日(日)まで、「久留米市美術館開館10周年記念展 美の新地平 – 石橋財団アーティゾン美術館のいま」を実施中

あのプリンス自動車の名付け親でもある
ブリヂストン創業者「石橋正二郎」の逸話

乗用車やトラック、航空機、バイクや自転車といった様々な乗り物用のタイヤをはじめ、ベルトやホースといった産業用ゴム製品も手掛ける日本を代表するメーカーが、株式会社ブリヂストンです。同社は石橋正二郎氏によって、1931年3月1日に「ブリッヂストンタイヤ株式会社」として福岡県久留米市に設立されました。「世の人々の楽しみと幸福の為に」という信念の元、事業を成長させ、私財を投じて教育や芸術文化への投資に生涯を捧げたのが石橋正二郎氏でした。その偉大な功績を知ることができる「石橋正二郎記念館」が、2026年2月14日にリニューアルオープンしました。その内容と、石橋正二郎氏にまつわる逸話をご紹介しましょう。

石橋正二郎の功績を紹介する唯一の公開施設
教育・文化・美術など幅広く支援した偉人

福岡県久留米市にある「石橋正二郎記念館」は、久留米市美術館や音楽ホールの石橋文化ホール、久留米市立中央図書館と共に、四季折々の美しい花が咲き誇る庭園に囲まれた総合文化施設「石橋文化センター」内にある。

創業から95周年、150カ国以上に拠点を置き、従業員数も12万人以上。売り上げ収益は約4兆4301億円(2024年12月期)という大企業に成長した株式会社ブリヂストン。その創業者、石橋正二郎氏の功績を紹介する日本唯一の公開施設として、地元・久留米市の住民に親しまれてきた。

この度「石橋正二郎記念館」は、約半年間にわたる改修工事を終え、さる2026年2月14日(土)にリニューアルオープンを迎えた。既存の展示室内のコンテンツをさらに充実させ、その展示内容を子どもからシニア、ハンディキャップパーソン、海外からといった多様な来訪者に対応するように環境を整備。

石橋正二郎氏が携わった事業の歴史や、教育機関や文化施設の建設寄贈。美術品の収集から始まった文化事業への支援などを、映像や字幕だけではなく、視覚的に楽しめるイラスト&タッチなど、55インチ大型タッチパネルディスプレイや最新技術を使って紹介。またそれとは対照的に、模型を使うことで簡潔で理解しやすい展示も両立させ、世代や国籍を問わない、誰でも感覚的にその情報を知ることができる環境を充実させているのが特徴だ。

呉服屋から地下足袋製造に業態変更で成功!
ゴムの将来性を見い出しタイヤ製造を国産化

この展示内容を楽しんでいると、石橋正二郎氏の経営者としての歩みと、想像を超える膨大な量の教育、文化事業への投資。事業と社会貢献に徹した人生であったことを知ることができる。

石橋正二郎氏は、病気療養中だった父の願いにより、進学を断念して兄と共に17歳で家業を継承。しかし、徴兵されてしまった兄に代わって、襦袢、着物の仕立て業であった「志まや」をひとりで背負って奮闘することになった。業務内容の見直しにより足袋の生産に特化。その際に、工場の新設や徒弟制度を廃止して給与制を導入するといった、経営の近代化を促進したそうだ。

その成功をきっかけに、今度はゴムを使った地下足袋の製造販売を開始。ちなみに、この「志まや」は「日本足袋株式会社」、「日本ゴム株式会社」、「株式会社アサヒコーポレーション」と商号を変更しながら、現在は「アサヒシューズ株式会社」として、国内で活躍するゴム靴メーカーとして継続している。

そして、そのゴムの将来性を見出したことで、自動車用タイヤの国産化を計画。これが現在の株式会社ブリヂストンが生まれるきっかけとなったのだった。

石橋正二郎氏が関わった事業は、ゴムを活用したタイヤ事業だけに留まらなかった。ゴルフボール(ブリヂストンスポーツ株式会社)、自転車(ブリヂストンサイクル株式会社)、自動車(プリンス自動車工業 ※1966年8月1日に日産自動車と合併)、オートバイ(ブリヂストンサイクル※1966年に撤退)、座席や寝具に活用されるウレタンフォーム(株式会社ブリヂストンとして業務継続中)、朝鮮タイヤ工業(現在のハンコックタイヤ)など、立ち上げた事業は多岐にわたっている。

この様々な事業のなかで、多くの方に覚えておいてほしいのは「プリンス自動車工業」との関わりだ。「プリンス自動車工業」は、1947年に立川飛行機の出身者によってつくられた「東京電気自動車」と、中島飛行機の東京製作所と浜松製作所を母体とするガソリンエンジン製造業の「富士精密工業」の合併によって生まれた自動車メーカーだ。

当時、「日本タイヤ株式会社」(太平洋戦争激化に伴い、1942年に社名を英語表記であるブリッヂストンタイヤ株式会社からこちらに改称していた)の会長職に就いていた石橋正二郎氏は、自動車製造業への関心もあったことで、「東京電気自動車」への出資を開始。ガソリン不足から電気自動車の発展が予想された時代だったが、1950年の朝鮮戦争勃発による特需により、バッテリー資源の鉛が高騰したことで電気自動車業が失速。その打開策として、「東京電気自動車」は「富士精密工業」のエンジンを使用したガソリン自動車の開発に着手した。その結果、1951年に「たま自動車」へと改称しつつ、同年に「富士精密工業」の株式を石橋正二郎氏が買収して、こちらも会長職に就任。ここで両社の合併の布石が誕生したことになる。

そして、1952年に1500ccのガソリンエンジン車「AISH型乗用車」と「AFTF型トラック」を発売開始。さらに同年には、当時の皇太子殿下(現在の上皇陛下)が立太子礼を行うことが決まっていたため、これを記念して同社初のガソリン車の名前を、皇子の意味を持つ「プリンス」と命名したのは石橋正二郎氏だ。さらに同年11月には社名も「プリンス自動車工業」に変更し、1966年の日産との合併まで同社会長職を務めた。なお「プリンス自動車工業」は、市販車では「スカイライン」や「グロリア」の発売。モータースポーツでは「R380」での活躍といった、今でも語り継がれる名車を生み出している。

ちなみに、この初代プリンス「スカイライン」の命名は、当時の経営陣だった石橋正二郎氏も関与しているとのこと(これに関しての詳細は諸説あり)。当時「ブルースカイ」や「スカイウェイ」といった空にちなんだブランドでゴルフボールを販売していたことから、“山並みと青空を区切る稜線”という意味で、この名が授けられたそうだ。

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