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「スカイラインの父」からの手紙 ケンメリのスタイルは「あまり好きではなかった」開発者・櫻井眞一郎が明かした四代目誕生の葛藤【没後15周年特別寄稿vol.3】

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TEXT: 山崎真一(YAMAZAKI Shinichi)  PHOTO: GT-R Magazine/日産自動車(Nissan)  FACT CHECK: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)

  • スカイラインの開発秘話を語った生前インタビューより。没後15年を経ても、その言葉は色褪せない
  • L20型エンジン(130ps)を搭載する上級グレードのGTX-S。パワーウインドウや革巻きステアリングなど豪華装備を標準で備えた
  • 廉価グレードの1600GL。幅広い価格帯をラインアップし、大衆受けを重視したケンメリの戦略を体現する1台だ
  • 「ヨンメリ」とも呼ばれた4ドアセダン仕様。幅広いユーザーに向けたボディバリエーションのひとつだ
  • 流麗なファストバックスタイルを採用した。特徴的なサーフィンラインが際立つ
  • 当時のショールーム展示の様子。「ケンとメリーのスカイライン」キャンペーンは社会現象を巻き起こした
  • わずか197台が生産されたケンメリGT-R。排ガス規制への対応が困難なため、短命に終わった
  • FRP製リアスポイラーとスカイラインのシンボルとなる丸型4灯テールランプを装備する
  • スポーツステアリングと多連メーターを備えたケンメリGT-Rの運転席まわり
  • ケンメリ発売当初の広報写真。大衆受けを重視した流麗なスタイリングが特徴だ
  • 他グレードとは異なる、大開口のメッシュグリルを採用したケンメリGT-Rのフロントにはスポーツカーとしての威厳を感じる

GT-Rファンへの誠実な向き合いと、ケンメリに隠された複雑な胸の内

初代スカイラインから開発に携わり、2代目S50型から7代目R31型の途中まで開発責任者を務めた「スカイラインの父」こと故・櫻井眞一郎氏の没後15周年特別寄稿、第3回をお届けします。今回はGT-Rファンとの交流エピソードと、4代目ケンメリの開発秘話を掘り下げます。氏が「あまり好きではなかった」と告白したケンメリのスタイル、その背景に迫ります。

「GT-Rはおやめなさい」と伝えた、腕前ある人にだけ薦めた理由

GT-Rというのは特別なクルマでした。

ある程度走り込んだ人が、多少の癖や乗りにくさを受け入れたうえで、サーキットでほかのクルマに負けない走りを堪能できる。誰が乗っても性能を引き出せるクルマではなく、乗り手が引き出してこそ真の性能が味わえる、そんな存在だったのです。

ですから、販売にあたっても、「ドライバーはかなりクルマに乗り慣れている人」という、いわば暗黙の条件がありました。確かに「欲しい」というお客さんはたくさんいましたが、わたしはよく「GT-Rはおやめなさい。よほど腕がよくないと、あの良さはわかりませんから」と伝えていました。

その一方で、本当に運転がうまく、クルマの性能に負けていない腕の持ち主には、GT-Rの性能や性格を念入りに説明していました。

開発者を全国に呼んだファンの熱量と、心を打たれたとある俳優の言葉

そういえば、初代GT-R発売当時はお客さまとのコミュニケーションを取る機会も非常に多かったですね。
あちこちに連れ出されましたし、「GT-Rのことを説明してくれ」と全国のディーラーイベントにも呼ばれました。GT-Rは基準車よりも遅れて発売されることが多く、そうした場にはマニアの方も多くみえ、質問も本当に多かった。

現在と違ってイベント自体もアットホームで、お客さまも皆さん温かかった。また、ほかのクルマで、あれほど質問を受けたり、イベントに呼ばれたりすることはなかったのではないでしょうか。その部分については開発者冥利に尽きる経験でした。

今でも印象に残っている出来事がひとつあります。名前は失念してしまいましたが、料理番組に出演されていた俳優の方で、確か娘さんがいらして、お住まいは東京・調布の国領あたりだったと記憶しています。その方がスカイラインに乗って、日産自動車の荻窪工場まで来られ、こうおっしゃったのです。

ファンとの距離が近いクルマだから、スカイラインクラブが多数生まれた

「ずっとスカイラインに乗ってきたけれど、古くなってきてね。家の者には”新しいのに買い替えろ、捨てろ”と言われているのです。でも、情が移ってしまって、なかなか踏ん切りがつかない。櫻井さん、悪いけれど、このクルマと一緒に工場の周りを走ってもらえないか」と真剣な表情で話されるのですよ。その言葉に胸を打たれました。

「やはり、こういうお客さまがスカイラインにはいるんだな」と喜び、二つ返事で運転席に乗り込んだことを覚えています。

まるで「自分の娘を、これほどまでに可愛がってもらえた」、そんな気持ちでした。本当にありがたい出来事でした。

お客さまとは、実に距離が近かった。手紙もよくいただきました。そうした関係性があったからこそ、スカイラインのクラブが数多く生まれ、今でもわたしが皆さんとお付き合いを続けているのだと思います。

営業の要求「大衆受けするクルマ」から生まれた4代目ケンメリの複雑な事情

三代目ハコスカから四代目ケンメリへバトンタッチしたのは、1972年9月のことです。歴代スカイラインの流れのなかで、四代目が転換期にあったのは間違いありません。

「高性能化よりも、大衆受けするクルマを作ってほしい」営業サイドからの要望は明確でした。

四代目の開発がスタートしたのは、日産との合併直後です。そのとき、スカイラインがお荷物扱いと揶揄されたこともありました。販売拠点であるプリンス自販としては、とにかく数が売れるクルマを作りたかった。「プリンスラインここにあり(日産に吸収されても、俺たちの造るスカイラインには旧プリンス自動車の走りの哲学と技術という魂が今もしっかりと息づいているぞ、という櫻井氏のプライドと執念がこもった宣言)!」を示すためにも、特徴を抑えてでも、多くの人に受け入れられるクルマを、とくに女性が乗っても様になるクルマを、という強い要望がありました。

ハコスカはクルマとしての評価こそ高かったものの、世間からは「免許を取ってすぐ乗るクルマではない」「2〜3年別のクルマに乗ったあとに乗り換えて、良さがわかるクルマ」というイメージがあったのです。

ケンメリは営業サイドから、トヨタから乗り換えても違和感がなく、格好よく見える、そういう売れ線のクルマを作ってくれれば、スカイラインの名前で売れるからと強く言われたのです。結果として、「あまり特徴を出さない」ことを意識して作ったのが、4代目のケンメリでした。

正直、個人的にはあの大衆を意識しすぎたスタイルはあまり好きではありませんでした。

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  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 1960 年生まれ 大学卒業後ベストカーガイド編集部勤務。1990年オートスポーツ誌に転職、1992年F1速報誌(アズエフ)編集長。1995年月刊ビデオマガジン編集部に転職、1996年ベストモータリング編集長(のち局長兼務)。2005年ネコパブリッシング・イベント本部長/4輪編集局長兼務。2015年交通タイムス社に転籍、2020年より現職(総編集局長)自動車の分野に問わずオールマイティだが、特に旧いモータースポーツとクラシックカーに造詣が深い。愛車は1969年DATSUN Fairlady SRL311/YAMAHA RD250ほか

 

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