櫻井が心血注いだS20エンジンと2リッター自然吸気への頑ななまでのこだわりの正体
「スカイラインの父」こと故・櫻井眞一郎氏は、2代目S50型から7代目R31型の途中まで、長年にわたり開発責任者を務めた技術者です。没後15周年の節目に、生前のインタビューをもとに特別寄稿としてその言葉を届けます。第4回は「ケンメリとS20エンジン」編。わずか197台で幕を下ろしたGT-Rの真実と、2リッター自然吸気エンジンへの揺るぎない信念に迫ります。
「このエンジンは排ガス規制をクリアできません」、197台で幕を閉じたケンメリGT-Rの真相
ケンメリの時代でも、GT-Rの構想はつねに頭にあった。オイルショックがなければ、GT-Rは間違いなく長く継続していたと思う。
では、なぜGT-Rが消えたのか。理由は排ガス規制だ。優秀なエンジニアたち自身が「このエンジンは排ガス規制をクリアできません」と言った。それが決定打だった。その結果、197台をもって生産終了となった。
航空機エンジン技術が投入されたS20、「自動車屋の発想ではない」と言わしめた名機の誕生
日産初の直列6気筒DOHC24バルブであるS20エンジンは、「6気筒で、思いきり高性能なエンジンを作ってくれ」というそのひと言から始まった。中島飛行機で航空機エンジンを手がけていたエンジニアたちの技術が投入され、斜めに通された通しボルトなど、シリンダーブロックの強度を高める工夫が随所に見られた。
当時、トヨタの技術者が「とても自動車屋の発想ではない」と驚いていたのを覚えている。ちなみに、ケンメリへの移行にあたりボディサイズの拡大に合わせて排気マニフォールド(エキマニ)の形状を変更するなど、改良も加えられていた。
2L自然吸気エンジンへの信念と「人車一体」、ターボを好まなかった本当の理由
そのまま継続されていればS20の次世代ユニットが生まれていたかもしれないが、当時はS20をもっと高性能化したいという欲求のほうが強かった。つねに2リッターの高性能ユニットを追い求めており、2Lという枠が外れたらスカイラインはつまらなくなると思っていたからだ。
わたしは排気量そのものよりも、5ナンバー枠にこだわっていた。3リッターや4リッターといった排気量の大きさで勝負するのではなく、枠内で最大排気量の2リッターのなかで技術的に競い合い、ずば抜けた性能を誇るクルマを作りたかった。ただそれだけだ。
正直、日本の道路事情を考えると、3リッターや4リッターといった不必要なトルクやパワーはいらない。さらにターボも、個人的にはなくてよいのではと思っている。これは好き嫌いの話だが、ターボはある回転域から急激にトルクが立ち上がる。その感覚が、自分の意志や感覚と少しずれてしまう。つまり「人車一体」という感覚から少し離れてしまう。ひとりで勝手にどこかへ行ってしまうかのような感じ、それがどうも好きになれない。
今も愛車としてターボ車(インタビュー当時はセフィーロ・オーテックバージョン)に乗っているが、「ターボがなければいいのに」と思うことはよくある。2リッターの自然吸気エンジンを、どこまで突き詰められるか。それを追求していくべきだと考えていた。
時代が早すぎた「スカイライン高性能ディーゼル」の挑戦
もうひとつ、スカイラインというクルマで新しい領域を切り拓きたかった思いもある。GT-Rの進化はもちろんだが、高性能ディーゼルもそのひとつだった。
5代目ジャパン(C210型)で開発した「280D GT」は、自然吸気の2.8Lという排気量ながらよく走る、いいクルマだった。しかし、残念ながらあまり売れなかった。

1980年代前半、ディーゼルの良さは日本ではまだ理解されていなかった。時代が早すぎたのだ。LD28エンジンからRD28エンジンへと受け継がれた流れを止めてしまったことは、開発者として今でも悔やまれる。もし続けていれば、今の欧州勢に負けない素晴らしいディーゼルエンジンが完成していたはずだ。そこは、本当に残念だ。









































