パリの街中を駆け抜ける衝撃のCM「街の遊撃手」
岡村さんが先に語ったジェミニのCMは、パリの街中を舞台に走り回るジェミニの恐るべき実写スタントシーンで編成されたもの。凱旋門前を2台のジェミニが片輪走行で扇形に並走前進してきたり、地下鉄ホームに地上階段入り口からジャンプ突入しホームを走り抜けたり、噴水を囲む石畳ロータリー路を並走ドリフトしたり、セーヌ川なのか、停泊船舶のルーフを中継しての川渡りジャンプをしたりといった、目を見張る衝撃的なシーン満載のものだった。
そんなジェミニにさずけられた「遊撃手」とは、野球におけるショートのポジションにいる選手の和訳だが、もともとは戦いの状況に応じて何事にもキビキビとフォローする攻防の要位置にいなくてはならない戦士のことだ。
離れ技の走りも踊るようにこなしていく街中走行シーンのCMで、「ジェミニこそは街の遊撃手である」と謳い、ジェミニはあらゆるクルマ生活場面においても、みんなにこんなに楽しく素晴らしい動きをあたえてくれるクルマなんだ、といわんばかりのアピール映像に、誰もが興奮し最後はうっとりとおさまってしまったCMだった。今ではYouTubeで見られるので、懐かしむ方も見ていなかった若い方も検索してみてはいかがだろうか。
全日本ラリーを席巻し、のちの世界王者も輩出
そんなFFジェミニが当時、全日本ラリー選手権に旋風を巻き起こしたのはいうまでもない。
往年の名物監督である高柳泰雄さんが率いるチームいすゞから全日本ラリーに登場した当初の1986年は、JT150型の1.5リッターターボエンジンで総合優勝を争う大排気量Cクラスだったが、4WDを携えてきたマツダ「ファミリア」やスバル「レオーネ」、またパワーある日産「フェアレディZ」、三菱「スタリオン」など競合ライバルもひしめくなか、奮闘は続いた。

ビッグチェンジを経て、1.6リッターの4バルブDOHCエンジンでのBクラス参戦となる1988年シリーズから、まさにコンパクトスポーツモデルの本領を発揮した。この頃の全日本ラリー選手権では、排気量でCクラスよりも小さいBクラスのエントリー数がCクラス参加数に匹敵するほどの賑わいを見せた。若手の登竜門的クラスでもあったBクラスには、ライバル車も日産「マーチR」、三菱「ミラージュ」、ダイハツ「シャレード」、トヨタ「カローラFX」らがひしめき、激戦が続くシリーズを重ねていた。
そんな時代も、1990年には坂明彦選手がジェミニJT190改によるBクラス・シリーズチャンピオンに名乗りを上げ、翌1991年には3代目JT191で坂選手がシリーズ連覇。1992年にはチームいすゞの新人としてシリーズ戦に抜擢された若き日の新井敏弘選手(のちにプロダクションカー世界ラリー選手権王者となる)もBクラスチャンピオンに輝き、日本一や世界タイトル獲得に向かい羽ばたいていくよすがとなっていたのだ。
スピードではなく「謎解き」を楽しむモータースポーツ
ジェミニ・イルムシャーRでデイラリー初戦を無事ゴールし、Cクラス6位を達成した岡村さんも、眼差しはもちろん次なる戦いへ。
「デイラリーはオリエンテーリングのようで楽しいです。スピードうんぬんのタイム競争ではなく謎解きがあるモータースポーツで、正確なタイムを出せたときには、だからなおさら楽しいんですね。イルムシャーRでの参加は、珍しくもあるのか誰もに好かれてもいるのか、みなさんからお声掛けをいただきました。街を走っているだけでうれしくもあり、走らせていこうとの励みにもなります」

筑波学園都市あたりの公道をぐるり遠征し、時に新緑の映える森のなかをめぐる80kmほどのコースでタイムを競ってきた岡村さん。そろそろどこかにチェックポイントが現れるのでは……と、コマ図(交差点の形状や距離が描かれたルート指示書)ごとに移り変わるルート状況のなか、走行スピードをどう対応させるべきか、ドライバーとナビゲーターとで繰り返されていく情報のやり取りと判断、これぞ「謎解き」というインプレッションだった。
デイラリーならではの貴重なタイムを競い合うスポーツスピリットを、遊撃手・ジェミニはキビキビとしっかりとフォローしてくれていたようだ。







































