クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • 新車価格はカウンタックの2倍! 生産台数はわずか4台のメルセデス・ベンツ「300 CE」AMG仕様
CLASSIC
share:

新車価格はカウンタックの2倍! 生産台数はわずか4台のメルセデス・ベンツ「300 CE」AMG仕様

投稿日:

TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: RM Sotheby's  FACT CHECK: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)

世界に一台だけのダックテールを備えた北米AMG製の6.0リッター版ハンマークーペ

国際コレクターズカー市場において、限られた顧客のみを対象とする「シールド(封かん競売)」と呼ばれるオークションの開催が増加している。2026年6月にオンラインで開催されたRMサザビーズの「Sealed June」には25台の高額車両が出品された。そのなかでも、北米AMGが生み出した1988年式メルセデス・ベンツ「300 CE 6.0 AMGハンマー・クーペ」は、ダックテールを備えた唯一の個体として特別な存在感を放っている。

スーパーカーに匹敵する実力を備えたAMGハンマーがアメリカで誕生する

1981年初頭、AMGの創業者であるハンス・ヴェルナー・アウフレヒトが、イリノイ州の「クラシック・モーターズ」社に所属するリチャード・バックスバウムと提携し、「AMGノースアメリカ」を設立した。当時のAMGはまだメルセデス・ベンツ本社の正式な傘下(グループ企業)ではなく、あくまで独立したチューナーであった。だからこそ、採算度外視でスーパーカーを凌駕するような過激なモデルを自由な発想で開発できたという時代背景がある。

ドイツ流の堅実な造りとアメリカ流のセンスで練り込まれたバックスバウムの特注モデル「ウェストモント」は、当時の裕福な芸術家やアスリート、映画スター、実業家たちの間で熱狂的に迎えられることとなる。1985年までには東海岸の拠点だけでは需要に追いつけなくなり、アンディ・コーエンが経営する「ビバリーヒルズ・モーテリング・アクセサリー」社と提携し、西海岸での販売も委託することになった。

このコラボレーションは最高の結果をもたらした。1986年に「ハンマー」の愛称で象徴的に知られるようになった「300 E 5.6」がデビューすると、アメリカにおけるAMG車への需要は桁外れの高まりを見せていく。もとは大人しいメルセデス・ベンツ W124(型)Eクラスセダンを、AMGの熟練工が手作業で組み立てる5.6リッターのV型8気筒エンジンと徹底的なシャシーチューンによって、スーパーカーに匹敵する実力を備えたセダンへと変貌させている。

1987年までに、AMGはC124(型)クーペおよびS124(型)ワゴンでも「ハンマー」のコンバージョンを展開していく。さらに追加費用4万ドルで排気量を6.0リッターへと拡大し、385psを発揮する最上位仕様のエンジンも搭載された。1987年から1991年の間に生産されたハンマー・クーペはわずか4台のみである。今回オークションに出品されたのは、AMGノースアメリカで製造された3台しかない「6.0ハンマー・クーペ」のうちの1台だ。さらには独自の「ダックテール」ボディワークが施された唯一の仕様であり、とくに際立った存在となっている。

徹底的なチューニングと豪華な装備でジェントルマンレーサーを魅了する

このメルセデス・ベンツ 300 CE 6.0 AMGハンマー・クーペは、アリゾナ州を拠点とする金融業者であり、ジェントルマンレーサーとしても知られたジョセフ・C・ガルディ2世のために製作されたことから「ガルディ・クーペ」の愛称で呼ばれている。1987年のある日、アメリカの自動車専門誌にて記事を目にしたガルディが、即座にコーエンへ電話をかけ「ハンマー、クーペ、ハウマッチ?」という率直な言葉で問い合わせたという逸話が残っている。

ドナーカーとなった300 CEは、1987年12月19日に「RBMアトランタ」社から調達された。シカゴのAMGノースアメリカに到着すると技術者たちは車両を完全に分解し、再組み立てに着手する。特注のファイアウォール、電子機器の配置変更、Eクラスの補強サブフレーム、トルセン式リミテッドスリップディファレンシャル、特注エンジンマウント、アップグレードされた4ピストンブレーキ、そしてビルシュタイン製スポーツサスペンション一式が組み込まれた。

ボディには成形されたダックテール型金属製スポイラーが装着され、エンジンルームにAMG自社開発製のDOHC32バルブ6.0リッター「M117(型)」V型8気筒385psの強烈なエンジンが搭載されたことに伴い、対応するアップグレード版トランスミッションも組み込まれている。エクステリアは、クローム仕上げの17インチ「Aero I」ホイールやボディカラーに合わせたエアロキット、AMGセブリングエキゾーストシステムの二連クロームチップによって程よい控えめさを完成させている。

インテリアには、グレーのレザー張りのヒーター付き「レカロ・クラシック」スポーツシートが配置され、ステアリングホイールもボディカラーに合わせて張り替えられた。さらに、ツイーターを隠した日本の「ナカミチ」社製フルシステム、同社製アンプやパッシブ・クロスオーバー・コントローラーも追加装備されている。

当初のメーカー希望小売価格は19万2000ドル(当時の為替レートで約2500万円)に達した。当時のフェラーリ「テスタロッサ」が約13万4000ドル、ランボルギーニ「カウンタック(LP5000 QV)」が約10万5500ドルから13万5000ドル前後であったことと比較すれば、当時のスーパーカーを遥かに凌駕する異例のプライスタグであったことがわかる。

ガルディにはプライベートジェットを購入する経済的余裕があったが、彼はただ愛車をとてつもなく速く走らせることを好んだ。1990年の春には、アメリカの専門誌『Road & Track』がスーパーカーに特化した季刊の別冊本にて、このガルディ・クーペに多くのページを割いている。数時間にわたる試乗ののち、寄稿者のレイ・サーズビーは「スピード、ハンドリング、快適性、そして造りの質というバランスの点において、AMGハンマー・クーペに敵うクルマはない。これは思い切り走らせたくなるクルマであり、その見返りは純粋な喜びだ」と絶賛の評価を下している。

ほぼすべての箇所に機械的修復を施し、長期的な投資価値のある至極の一台に仕立て直される

ガルディが7年にわたって堪能したのち、1995年10月にカリフォルニア州のメルセデス・コレクターであるアーロン・ラスキンへ譲渡された。彼は2010年1月まで所有していたが、同月にオークションへと出品し、ガルディ・クーペはいったんドイツのコレクターの手に渡る。しかし、2016年にアメリカのAMGスペシャリストである「ブルー・リッジ・メルセデス」のジョナサン・ホッジマンが入手し、再び大西洋を渡ることになった。

じつは過去のオークションで手に入れ損なっていたホッジマンは、現在に至る10年間にわたって愛着を持って所有し、このガルディ・クーペの主要システムすべてに及ぶ機械的修復を施している。レストアの内容は徹底的なものとなり、M117型エンジンや駆動系、電装システムはもちろん、内外装からオーディオシステムに至る全項目が手直しされ、長期的な投資価値のある1台として完成するに至った。

RMサザビーズ北米本社は今回のオークション出品にあたり、入札者が相互に提示価格を知ることができない「シールド・ビッド(封かん競売)」の形式を採用した。エスティメート(推定落札価格)は75万ドル(約1億2100万円)から90万ドル(約1億4520万円)を目安としていた。

2026年6月24日から26日にかけてオンラインで秘密裏に競売が行われたはずだが、オークション終了後も公式WEBページではハンマープライスはおろか、落札に至ったか否かも公表されていない。シールド形式という大前提がある以上は秘匿されることも重々承知しているが、これだけの物語と徹底的なレストアが施された唯一無二のクーペが、いかなる評価を受けたのか気になってしまうのも本心である。

為替レートは=161円(2026年7月13日時点)で換算

すべて表示
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
著者一覧 >
  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 1960 年生まれ 大学卒業後ベストカーガイド編集部勤務。1990年オートスポーツ誌に転職、1992年F1速報誌(アズエフ)編集長。1995年月刊ビデオマガジン編集部に転職、1996年ベストモータリング編集長(のち局長兼務)。2005年ネコパブリッシング・イベント本部長/4輪編集局長兼務。2015年交通タイムス社に転籍、2020年より現職(総編集局長)自動車の分野に問わずオールマイティだが、特に旧いモータースポーツとクラシックカーに造詣が深い。愛車は1969年DATSUN Fairlady SRL311/YAMAHA RD250ほか

アーカイブ

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

人気記事ランキング

アーカイブ

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS