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N1仕様「R32 GT-R」が「ガレージ伊藤」を育てた! レース車両製作の苦労がストリート仕様にいかされています

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TEXT: 増田髙志  PHOTO: GT-R Magazine

  • RB26エンジン

チューナーの心に残る厳選の1台を語る【ガレージ伊藤 伊藤辰次郎代表】

少しも妥協せずにどこまでも真剣に取り組んだからなのか、GT-Rでの苦労はその後のGT-Rに反映された。「苦労は買ってでもせよ」の言葉が頭をよぎる。人生と同様に、GT-Rでもこの教訓は当てはまることを実感。『ガレージ伊藤』の伊藤辰次郎代表が忘れられない一台を語る。

(初出:GT-R Magazine156号)

阪神高速を夢中で走り回った若かりしころ

「学生時代はバイクには乗ってもいいが、クルマは禁止だと親父からキツく言われていました。自分だけがコケるバイクと違って、クルマは人を傷つけてしまう。わたしの無謀な性格をよく知っている父親らしい教えです」と若かりしころを振り返る『ガレージ伊藤』の伊藤辰次郎代表。

それでもヤンチャな伊藤代表は、18歳で免許を取ってすぐに親に内緒で110サニーを手に入れた。しかも1200ccのA型エンジンを1300ccまでスケールアップし、80度のハイカムを入れたレース用エンジンに載せ換えてしまったのだ。トルクはないが、面白いように回るエンジンはストリートでは痛快だった。

そして夜な夜な阪神高速を走り回り、それらしいクルマと競争する。怖いもの知らずの伊藤代表の刺激的な走りは、それほど時間はかからずに評判となっていった。

正月でも走りに出向いていた伊藤代表は、スリックを履いたKP47スターレットと遭遇する。いいペースで走っているスターレットをインから抜こうとした、その瞬間に目の前でスピン。迫りくるスターレットをかわそうとした伊藤代表のサニーは、豪快に横転してしまった。幸い怪我はなかったが父親にクルマを所有していることがバレて大目玉を喰らってしまう。20歳になるかならないかのころの話だ。

26歳の若さでプロショップを立ち上げるまで

それからしばらくはバイクでストレスを発散するようになり、自分でチューニングしたモンキーで参戦していた鈴鹿のミニバイクレースでは優勝経験もある。当時からチューニングは自己流だったが、機械の仕組みを理解するために分解組み立ては頻繁に行っていた。さらに、仲間との情報交換も活用しながら知識を深めていく。

22歳で大学を卒業後、マフラーメーカーの立ち上げに参加するも1年半で辞め、知り合いと共同でレースメインのショップを設立する。しかし、2年しか続かなかった。

その後、伊藤代表は26歳でガレージ伊藤をオープンする。板金塗装店の一部を間借りしてのスタートだ。L型やA型、それに2T-Gのキャブを使ったメカチューンを主軸に、レース車両の製作なども行っていた。

「オープンの翌年に、中山サーキットで行われている雑誌社主催のレースに出るため、KP61スターレットのチューニングを依頼されたんです。どうせなら面白いクルマにしたかったので1.8Lまで排気量を上げた2T-Gのエンジンスワップを提案。するとユーザーも話に乗ってくれて刺激的なクルマに仕上がりました」 

ユーザーが楽しんでいる光景を見て、伊藤代表も無性にレースに参加してみたくなった。自分用のKP61に当時出たばかりのAE86カローラレビン/スプリンタートレノが搭載していた4A-Gをスワップしてしまったのだ。多くの注目を集め、その期待にもしっかりと応えて見事に改造1600ccクラスでシリーズチャンピオンに輝いた。その後は310サニーやAE86のN2クラスの車両製作などを行っていく。

BNR32デビュー後はそのパワーに魅せられる

伊藤代表の得意なキャブセッティングを駆使して、平成元(1989)年にはAE86でシリーズチャンピオンを獲得。その後、AE86のホモロゲが切れるため、今度はS13シルビアのN2を製作した。シルビアクラスになると流石にキャブでは対応し切れないので、制御系にフルコンを導入。その道のスペシャリストにセッティングを依頼した。

「当時、フルコンはまだ一般的ではなかったのですが、そのうち市販車でもコンピュータチューニングが主流になるだろうと思って、スタッフにみっちり勉強させました。スペシャリストと同じ機材を揃えて、一から指南してもらったんです。自分は仕上がったクルマに乗って粗を探して文句を言う役割です」と伊藤代表はキャブ一筋に徹する。

そして、噂のBNR32がデビューすると真っ先に購入し、どれほどのレベルかをじっくりと吟味した。L型3L NAチューニングのクルマと競争したが、ノーマルのR32のほうが速かった。

「たしかL型のパワーは300psくらいだったと思いますが、スタートからして280psのR32が引き離しました。四駆だし足まわりも良いし、優等生過ぎて面白くなかったですよ、最初はね……」 

伊藤代表が夢中になったのは、どこまでもパワーを発生させられそうな素性の良さを実感したときからだ。RB26DETTには限界なんてないように思えてしまう。それほど当時のほかのエンジンとは一線を画す実力を秘めていた。

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