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時速400キロオーバーを1938年に樹立! 現在も破られていない公道最高記録を持つメルセデス・ベンツのレーシングカーの歴史【前編】

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TEXT: 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)  PHOTO: メルセデス・ベンツAG/メルセデス・ベンツミュージアム/妻谷コレクション/アウディ

【1934年】シルバー・アローの名が誕生したW25

昔のレースは出場国のナショナルカラーでボディ色が決められていた。イギリスはグリーン、イタリアはレッド、フランスはブルー、そしてドイツはホワイトだった。

しかし、フランスに本拠を置くA.I.A.C.R.(現在のFIA)が、1934年に新しいGPマシン規定を発表。重量は750kg以下に規定し、750kg制限時代に突入した。そして1934年にメルセデス・ベンツの常勝GPマシン「シルバー・アロー」が誕生。354psの「W25」は車両重量750kg以下となった新フォーミュラに合わせて開発されたが、規定より1kgだけオーバー。ドイツのナショナルカラーである白い塗装をはがし、アルミ地肌でレース車検をパスし初出場した。

そのアルミ地肌の銀色に輝くボディのマシンが、「シルバー・アロー」と呼ばれた最初のGPマシンである。この年、イタリアおよびスペインGPなどでも優勝し、翌1935年には7つのGPを制覇した。

【1937年】3Lのフォーミュラ規定を取り入れたW125

750kgフォーミュラは1936年までとされていたので、メルセデス・ベンツ技術陣は1937年から採用される予定の新3Lフォーミュラの設計試作を1936年より開始する。しかし、新3Lフォーミュラの最終決定が遅れた為、1937年は750kgフォーミュラが継続された。

W125

そこで、メルセデス・ベンツ技術陣は急いで、新フォーミュラ用として最高傑作車といわれる「W125」を完成させた。エンジンはW25の直列8気筒DOHC、ルーツ・スーパーチャージャー付きをさらに5.66Lにボアアップ。出力は1937年の初期モデルで600ps弱、後半には646psにも達し、そのスピードは433.7km/hを記録した怪物である。

シャシー開発はレーサーよりも速いエンジニアと言われたルドルフ・ウーレンハウトが担当。当時すでに生産モデルの「500K」および「540K」に使用して好評だったフロントダブルウィシッボーン&コイルの組み合わせを初めてレーシングマシンに採用する。リアは巨大なトルクに耐えさせるため、ド・ディオンとトレーリングアーム、そして縦置きトーションバーの組み合わせで、ダンパーはハイドロリック式を使用した。

彼はW25を自分でテストし、シャシーの欠点を十分に理解していたため、大規模な設計の転換を実施した。結果、ソフトな乗り心地と優れたロードホールディングを持ったこの新型W125はトリポリやドイツGPをはじめ、同年13レース中、7回も優勝。名手ルドルフ・カラッチオラが1937年・1938年に、そして1939年にはヘルマン・ランクがそれぞれヨーロッパチャンピオンに輝いた。

【1938年】アウトバーンで時速432.69kmの世界最高記録を樹立

ヒトラーがとくに自動車レースに力を入れたのは、これまでの全記録を打ち破って、ドイツの優秀性を内外に誇示しようとしたためだった。メルセデス・ベンツとアウト・ウニオンに資金援助をし、このドイツ両車はレースで圧倒的な勝利を獲得した。

1936年に入るとメルセデス・ベンツはV12、4.8L 540psエンジンを搭載した流線型のレコード・レーサーを造った(W25ベース)。1936年10月と11月にフランクフルト~ダルムシュタット間のアウトバーンで、名手ルドルフ・カラッチオラはクラスB(5L~8L)で計6つの世界記録を樹立し、最高スピードは371.9km/hを記録する。

しかし、当時のレースでドイツ勢のライバルであるアウト・ウニオンの流線型レコード・レーサーを駆ってベルント・ローゼマイヤーが1937年に406.3km/hの記録を達成した(「タイプCストリームライン」)。

そこで、メルセデス・ベンツ技術陣は面目にかけてもこの記録を打ち破るべく、1936年のレコード・レーサーのV12エンジンを5.57L、736psにまで拡大(W125ベース)。このクルマでカラッチオラは1938年1月28日、フランクフルト~ダルムシュタット間の完全に平坦なアウトバーンでフライングマイル436.36km/h、フライング・キロメーター432.69km/hのクラスB(5L~8L)の世界最高記録を樹立した。なお、公道上で出した最高速度の記録は現在も破られていない。

【1939年】1.5Lエンジンを搭載したW165

3Lフォーミュラの2年目、1939年は初めからメルセデス・ベンツとアウト・ウニオンのドイツ勢が独占。そこで、イタリア勢は自国のトリポリGP(イタリアの植民地リビア)をなんとしても勝ちとるために必死の策を練り、ついにイタリアのスポーツ・コミッションは「最後の切札」を打った。

つまり、トリポリGPでは1.5Lに制限すると発表。このクラスを得意とするのはマセラティやアルファ ロメオのイタリア勢。しかし、メルセデス・ベンツ技術陣はスペシャルプロジェクトチームを結成し、わずか8カ月で全く新しいマシン「W165」をローンチする。エンジンはV8、90度、1.5L、254ps、5速トランスミッションで274km/hをマーク。このトリポリGPで1位がヘルマン・ランク、2位はルドルフ・カラッチオラ。メルセデス・ベンツのエンジニアの意地と実力はフルに発揮され、人々に驚きと感動を与えた。

* * *

今回は1939年までの主なレーシングカーを紹介した。1940年以降のモデルに関しては、またあらためて紹介していきたい。

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  • ブリッツェンベンツ
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  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 1949年生まれで幼少の頃から車に興味を持ち、40年間に亘りヤナセで販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特にメルセデス・ベンツ輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版のカタログや販売教育資料等を制作。またメルセデス・ベンツの安全性を解説する独自の講演会も実施。趣味はクラシックカー、プラモデル、ドイツ語翻訳。現在は大阪日独協会会員。
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