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30年現役だったトヨタ初代「センチュリー」はエアサスを国産初採用! 超高級車はまさに国宝級でした【カタログは語る】

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

純日本流の風格と気品を備えたスタイル

画像ギャラリーのカタログ写真に何気なく一緒に写してあるのは、筆者所有のトヨタ「センチュリー」のミニチュアカーだ。40分の1スケールのヨネザワのダイヤペットのシリーズ(のおそらく初期の製品)で、小学生の頃、晴海の東京モーターショーの帰りに東京駅・大丸の玩具売り場で親に買ってもらったものだろう。このミニチュアカーに関して言えばセンチュリーでしかもドアが4枚開閉する(ボンネット、トランクも開閉)ところにも惹かれたのだと思う。さらにグリルや窓枠にホイールアーチのシルバーは、小学生当時の自分がレベルカラーか何かのプラモデルの塗料を使ってフリーハンドでマスキングもせずに差したものだ。まさかそのウン十年後の大人になってこのミニチュアカーのことを仕事で原稿に書くことになろうとは当時は夢にも思っていなかったはずだが、子ども心にセンチュリーの姿がステキでインパクトもあったのだろう。ライバルの初代日産「プレジデント」がアメリカナイズされたスタイルだったのに対し、鳳凰のオーナメントも誇らしく、純日本流の新しさ、風格、気品のあるスタイルがじつに素晴らしい……と、このミニチュアカーを手にとり眺めながら肌で感じていたような気がする。

豊田佐吉の生誕100年を記念してネーミング

そんな初代センチュリーが登場したのは1967年(昭和42年)のこと。当時のニュースリリースでは、

「従来のクラウンエイトに代わるものであるが、全く新たなスタイル、性能、居住性、すべてにトヨタ技術の粋を結集して設計されており、世界の豪華車を目ざす車である(原文ママ)」

と紹介されている。初代センチュリーの前身は、「クラウン」が2世代目だった時代の1964年に登場した「クラウンエイト」で、このクルマは当時のクラウンに対してボディ全幅を150mm拡幅、日本車として初めてV8エンジン(2600cc)を搭載。法人需要などに向けて3834台が生産されたモデルだった。そのクラウンエイトに対してサイズでみると全長+260mm、全幅+45mm、ホイールベース+120mm拡大したのがセンチュリーである。

開発をまとめたのは、初代、2代目クラウン(クラウンエイト)も手がけた中村健也主査だった。なお車名のセンチュリーは発表の1967年がトヨタの創設者・豊田佐吉の生誕100年にあたることから名付けられたもの。シンボルのオーナメントは平等院・鳳凰堂に由来する。

当時のリリースにも「日本を代表する最高級大型乗用車にふさわしく、クラシックな荘重さをただよわせる独創的なスタイル」と記されているスタイルは、とにかく存在感のあるものだった。同じリリースには

「トヨタには、パブリカ、カローラ、コロナ、クラウン、センチュリーと、大衆車から、超高級車まで、あらゆる層にかなう車種がそろったことになる」

とも。この時代のトヨタがわずか5車種しか持たなかったことにも改めて驚かされるが、他の4車種ともまったく異なる文脈で仕上げられたセンチュリーのスタイルは、創造性にあふれたものだったといえる。なおカタログ写真をご紹介しているが、途中、1982年のマイナーチェンジでフロントグリル、ヘッドライトなどのデザインの小変更を受けるも、2代目の登場まで、(途中で追加のあったリムジンを除けば)じつに30年も基本的なスタイルはそのままだった。

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