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ディーノ「246」はスパイダーとクーペのいずれが高額? 決め手は台数の少ないボディカラーにありました

ディーノ「246」はスパイダーとクーペのいずれが高額? 決め手は台数の少ないボディカラーにありました

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 2023 Courtesy of RM Sotheby's

どちらもクラシケのお墨つき、だけど……

世界各国のオークションで、ディーノGT(206/246)は必須アイテムともいうべき人気商品。今年9月、RMサザビーズ欧州本社がスイスのサン・モリッツにある5つ星ホテル「ケンピンスキー・グランドホテル・デ・バン」で開催した「St. Moritz」オークションでも、1971年型ディーノ246GTと73年型のディーノ246GTSがそろい踏みを見せた。

#01584のシャシーNo.を与えられた246GTは、507台が製造されたセリエMの1台で、1971年2月4日に完成した。ベージュのインテリアに「アマラント・フェラーリ」と命名されたダークレッドで仕上げられ、フィレンツェ在住の初代オーナーに引き渡されたが、そののち早い時期にスイスへと輸出。スイスでは、さらに2人のオーナーの手に渡った。

2013年、246GT-01584はジュネーブ郊外にあるフェラーリの公式ワークショップ「モデナカーズSA」に20万スイスフランを投じ、大規模なレストアとリビルドが行われた。

レストアは2015年初めに完了し、現在はベージュの内装にグリージオ(グレー)メタリックで仕上げられたこの246GTは、翌2016年2月に「フェラーリ・クラシケ」の認定を受け、マッチングナンバーのシャシーとギアボックスを保持していることを証明する、フェラリスタ垂涎の「レッドブック」が授与されることになった。

いっぽうの246GTS、シャシーNo.#07326は、1973年10月17日にスカリエッティ工場からラインオフ。新車時は、本国へのデリバリーのため左ハンドルのヨーロッパ仕様に設定されるとともに、「ブル(Blu)ディーノ・メタリック」にベージュのレザレット(模造レザー)インテリアの組み合わせで仕立てられ、純正オプションのクロモドラ社製ホイールが最初から装着されていた。

初代オーナーとなったのは、マラネッロの隣町サッスオーロ在住の人物。1974年にはドイツに輸出され、1987年まで複数のオーナーのもとを渡り歩きながらもドイツに留まった。そして1987年、この246GTSはスイスに住むフェラーリ愛好家の手に渡り、彼は今年初めまで、36年間にわたって所有することになった。
2007年にはフェラーリ・クラシケの申請を行っていることから、こちらも「レッドブック」が授与されているのだが、その認定を受ける前、いずれかの時点で赤いボディ色と「ペッレ・ネラ(黒革)」の内装で再仕上げされて現在に至っている。また、今回の出品に際して添付されるレッドブックでは、マッチングナンバーのシャシー、エンジン、ギアボックスを保持していることも記されている。

そして迎えた「St. Moritz」オークションでは、まず246GTが35万~40万スイスフランのエスティメート(推定落札価格)に収まる36万2750スイスフラン、日本円に換算すれば約5920万円で落札された。

他方246GTSには、クローズド版よりも高価な45万~50万スイスフランのエスティメートが設定されたものの、オーナー側が希望した最低落札価格には届かなかったようで、現在では目安の価格45万フラン、つまり約7340万円のプライスをつけたまま、継続販売とされている。

このオークション結果については様々な理由が想像されよう。しかし、これはあくまで筆者の私見なのだが、今回の246GTはボディカラーやコンディションなどが、この機を逃すとなかなか手に入れられるものではないと評価されたのに対して、同じく「クラシケ」お墨付きのコンディションながら定番カラーの246GTSについては、今後ほかにもチャンスがあり得ると判定されたのではないか……? と思われたのである。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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