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ブガッティはいかにして「世界最高の自動車ブランド」になったのか? 創業から半世紀で生産7800台の第1期を振り返る【ブガッティ・ヒストリー_01】

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: Bugatti Automobiles S.A.S./武田公実

  • ブガッティの創業者、エットレ・ブガッティ(Ettore Bugatti)、1924年撮影
  • ブガッティ初のモデル、T13。写真は1910年代撮影と推定
  • ブガッティ初のモデル、T13
  • 1920年代撮影のブガッティT13
  • 1921年に撮影されたT13ブレシア
  • ブガッティT13ブレシア
  • ブガッティT13はレースシーンでも活躍した
  • 1924年に登場したブガッティT35。写真は1924~25年のスペインにて
  • 1924年に登場したT35を端緒とした一連の「グランプリ・ブガッティ」はレースで大活躍
  • 1924年に登場したT35を端緒とした一連の「グランプリ・ブガッティ」はレースで大活躍
  • 1924年に登場したT35を端緒とした一連の「グランプリ・ブガッティ」はレースで大活躍
  • ブガッティT35の直列8気筒エンジン
  • 「モナコGPヒストリーク」で走ったT35とT37
  • 1929年の第1回モナコグランプリで優勝したブガッティT35B
  • イタリアの「ミッレ・ミリア博物館」に展示されるブガッティT37
  • 1931年の第3回モナコグランプリではルイ・シロンの運転するブガッティT51が優勝
  • T57ヴァントー。ペブルビーチ・コンクール・デレガンスにて
  • T57Sアタラント。ペブルビーチ・コンクール・デレガンスにて
  • ペブルビーチ・ツアー・エレガンスのT57ステルヴィオ
  • T59GP。ペブルビーチ・コンクール・デレガンスにて
  • 自動車史上最高級車といわれる、ブガッティT41ロワイヤル
  • T41ロワイヤルは乗用車史上最大の排気量を持つ直列8気筒エンジンを搭載
  • 桐生のイベントで撮った、群馬の有名なご兄弟のブガッティT13ブレシア
  • 家具作家だった父カルロのデザインした椅子に座りモールスハイムの自宅でくつろぐ、創業者エットレ・ブガッティ。撮影年不詳
  • 約100年前の1924年にデビューしたブガッティ「T35」(手前)と、2019年から40台限定で生産されたハイパーカー「ディーヴォ」(奥)

自動車で「総合芸術」を目指した第1期ブガッティ

オペラは、時として「総合芸術」と称される。歌劇はもとより音楽と演劇を兼ね備えるのにくわえて、近代以降のオペラでは壮麗な舞台美術や趣を凝らしたコスチュームなど、構成要素のすべてに芸術的資質を追求するのが半ば常識となっている。自動車史上最大の鬼才、エットレ・ブガッティが生涯にわたって追い求めたのは、自動車という当時最先端のテクノロジーの結晶を表現媒体とした「総合芸術」だったのではあるまいか……?

芸術家エットレの興した自動車ブランド

エットレの造った自動車の多くが、芸術作品、たとえば現代美術の彫刻作品としても鑑賞に堪えうる美しさと、「キャラコ(白木綿地)を引き裂くような」という名文句で形容される音楽的な排気音を奏でることは、幸運にしてブガッティに触れるチャンスを得たエンスージアストなら周知の事実であろう。自動車界における最高のブランドであるブガッティの、21世紀の現在にまで継承された世界観がいかにして形成されたのか……? まずはエットレ時代のブガッティを解説させていただこう。

* * *

ブガッティの開祖、エットレ・ブガッティは1881年9月25日に生を受けた瞬間から、アーティストたることを運命づけられていた。ミラノの著名な家具デザイナー兼造形作家、カルロ・ブガッティの長男として生まれた彼は、幼い頃から父とそのサロンを訪れるさまざまな分野のアーティストたちから、文化・芸術の英才教育を受けてゆく。またそのいっぽうで機械工学、とくに当時発明されて間もない自動車という乗り物に強く惹かれていた。

そして、10代から自動車メーカーの主任設計者に請われるほどの才能を発揮した彼は、いくつかのメーカーを渡り歩いたのち、1909年に自らの名を冠したブガッティ社を設立するに至る。

イタリア国籍はそのままフランス定住を決めたエットレは、ドイツとの国境に近いアルザス・モールスハイムにアトリエとも呼ばれる工房を設け、その敷地内に自身と家族のためのシャトーと、愛馬たちのための厩舎も建設。まるで貴族の荘園のようなコミュニティを作った彼は、昔ながらの徒弟制度にしたがって「ル・パトロン(親方)」と呼ばれた。

この時期、ブガッティが生み出した名作は枚挙に暇がない。自社ブランド初の作品「T13ブレシア」はライトスポーツカーの元祖となった。また1924年に登場した「T35」を端緒とし、「T37/T37A」や「T51GP」などのファミリーが輩出した一連の「グランプリ・ブガッティ」は、当時のGPレースやスポーツカーレースで大活躍したうえに、自動車に初めて機能美という概念をもたらしたとされている。

そして、市販モデルでも1万2763cc、プロトタイプに供された第1号車に至っては1万4726ccという乗用車史上最大の排気量を持つ直列8気筒エンジンを搭載。自動車史上最高級車といわれる「T41ロワイヤル」も、もちろんブガッティの芸術的センスから生み出されたマスターピースだった。

自動車とその世界観を表現媒体とした芸術活動とは?

芸術家エットレ・ブガッティが生涯にわたって追い求めたのは、自動車という当時最先端テクノロジーの結晶を表現媒体とした「総合芸術」。彼の造った自動車の多くが芸術作品としても通用する美しさと音楽的なエキゾーストノートを誇ることは、幸運にしてブガッティに触れる機会を得たエンスージアストなら周知の事実であろう。

当時の高級車は、エンジンやシャシーなどのメカニズムのみを製造し、ボディ架装は専業のコーチビルダーに委ねるのが常道とされていたのだが、ブガッティではデザインからエットレ自らが手がけ、製造もすべて自社で行うことをデフォルトとしていた。

そして、肝心のメカニズムでも美的側面を最優先したエットレは、たとえばアルミニウム合金製エンジンブロックも直方体にこだわるために、直列4気筒ないしは8気筒だけとしたうえに、ヘッドの形がシンプルな直方体ではなくなるDOHCも極力排除。

アルファ ロメオなどのライバルにパワーでは後塵を喫しながらも、かのパブロ・ピカソは白銀に輝く直方体のエンジンを「最も美しい人工物」と評したといわれている。

また、プロポーションに影響を与える独立懸架の採用も最後まで拒むなど、テクノロジーの進化に抗ってでさえも、自動車という乗り物が潜在的に持つ古典的な機能美を徹底して表現しようとしていた。

さらに自動車以外にも、エットレ自身と彼を取り巻く人々によってなされたドラマティックなストーリー。モータースポーツやコンクール・デレガンスなどの晴れ舞台で、ヨーロッパ中の観衆の視線を独占した華やかなカリスマ性。そして、クルマ創りの場から日常生活の場に至るまでの環境に要求する徹底した美へのこだわりなど、エットレが表現しようとしたすべてが、今なお世界中の熱心な愛好家「ブガッティスタ」を魅了し続けているのだ。

英国の研究家H.G.コンウェイの著した、ブガッティのバイブルとも称される名作『Le Pur-Sang des Automobiles』によると、イスパノ・スイザ社によって併合される1963年までにモールスハイムのアトリエから生み出されたブガッティのクルマは、ツーリングモデルからワークスのGPマシンまで全て合わせても、じつに約7800台+αに過ぎないと推定されている。

しかし、ブガッティが数あまた存在する名門メーカーの中でも最高の伝説的存在として、その神秘性とカリスマ性を保ち続けているという事実は何人たりとも否定できまい。

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