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フェラーリ「デイトナ」が6億円弱で落札! スパイダーがクーペより5倍も高値になる理由とは?

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 2023 Courtesy of RM Sotheby's

やっぱりホンモノはけた違い?

「フェラーリ・クラシケ」が審査結果として発行した「レッドブック」によると、このデイトナ スパイダーはシャシーNo.#16689で、1973年8月にアメリカで納車された。フェラーリの世界的権威であるマルセル・マッシーニ氏のレポートによると、正規の365GTS/4デイトナ スパイダーは工場でわずか121台しか生産されなかった希少モデルであり、この個体は82番目にUS仕様として生産されたものとのことである。

新車時のボディカラーは「ノッチョラ(Nocciola)メタリツァート」。ノッチョラとは、イタリア語でヘーゼルナッツのこと。色名では「ハシバミ色」と呼ばれる明るいブラウンのメタリックである。そして「ペッレ・ベイジェ(ベージュ色の本革)」というシックなカラーコンビネーションが施されたこのフェラーリは、1973年のオハイオ州の街角で目を見張るような存在感を放っていたことだろう。

ファーストオーナーであるシンシナティ在住のロバート・リンドナーは、クルマのカラーについては確たるセンスとこだわりのあるフェラリスタだったようで、同じ色で仕立てたデイトナ ベルリネッタを下取りに出して、このスパイダーを購入したという。

こうしてデイトナ スパイダーに魅了されたリンドナーは長らく手放さなかったものの、1991年にドイツへ輸出されることになる。1990年代初頭、#16689は2人のドイツ人ディーラーのもとを渡り歩き、そのうちのいずれかがフルレストアを依頼した。

1994年に、このデイトナ スパイダーは有名なコレクターであるヴォルフ・ツヴァイフラー博士によって入手され、その後17年にわたって多くのフェラーリ・イベントでこのデイトナ スパイダーを楽しんだのだが、2011年になると博士は長年の愛車を、今回のオークション出品者である現オーナーに売却することにした。

このデイトナ スパイダーをオリジナルのカラーに戻したいと考えた現オーナーは、2013年から2014年にかけて、フェラーリのエキスパートであり、フェラーリ・クラシケを支えるサプライヤーでもある「カロッツェリア・ザナージ」に内外装のレストアを依頼することにした。

そこでノッチョラ・メタリッツァートの外装にペッレ・ベイジェの内装というエレガントなオリジナル仕様に戻されたのちフェラーリ・クラシケに申請を行い、2016年にレッドブック認定を受ける。またこの時、フェラーリ本社はマッチングナンバーのエンジンを保持していることを確認している。

「フェラーリが提供する最も素晴らしいカラーのひとつで仕上げられたこのデイトナ スパイダーは、次のオーナーに、フェラーリ史上最高のV型12気筒エンジンの轟音を存分に楽しみながら、世界中のコンクール・デレガンスやフェラーリのオフィシャルイベントに参加する機会を提供します」そんな謳い口上とともに、RMサザビーズ欧州本社は235万ユーロ~265万ユーロのエスティメート(推定落札価格)を提示。

そして11月25日に行われたオークションでは、エスティメート上限を大きく上回る309万8750ユーロ。日本円に換算すれば、約5億8400万円というビッグプライスでハンマーが落とされることになった。

同じデイトナであっても、ベルリネッタ版ならば50万ユーロ~60万ユーロあたり。スパイダーにコンバージョンしたものは、オリジナルのベルリネッタと同等か、時には安価に見積もられてしまうこともある国際マーケットの現況に対して、ホンモノの365GTS/4デイトナ スパイダーには、これだけのプライスが認定される。

それはデイトナ スパイダーというモデルのカリスマ性にくわえて、デイトナ ベルリネッタと同じくスカリエッティで正規に架装されたことに意義があることを示す、なによりの証なのであろう。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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