ファントムに満足しなかったロイス
皮肉にもファントムに満足しなかったのはロイス自身であり、彼はホイールベースの短いファントムIIでさえ、個人的な用途には大きすぎるとして頑に主張した。そのため、彼はデザインチームに自身がコート・ダジュールにある別荘「ル・カナデル」まで運転して行くのに、よりコンパクトでスポーティなファントムIIの派生モデルを開発するよう指示した。
デザイナーたちはファントムIIの短いシャシーを改良し、「26EX」を開発した。「EX」は「実験的」を意味する。記録によると、ロースル・ロイスの販売部門も工場も、このコンセプトには当初あまり乗り気ではなかった。実際、これがロイス個人の移動手段として企画されていなかったら、製造されることはなかったかもしれない。
しかし、大陸横断セールスツアーの大成功により、ヨーロッパのなめらかでまっすぐな道路を高速で長距離走行できるクルマの需要があることが証明された。同社は「ファントムII コンチネンタル」でこの需要に応えた。おそらくグッドウッド以前のファントムの派生モデルの中で、重量、空気抵抗、その他の性能関連要因と乗客の快適性を同等に考慮した唯一のモデルである。
AMWノミカタ
ここまで、ロイスが存命中のファントムの変遷を紹介した。その歴史は40/50 H.P.のエンジンに新しいシャシーを与えたことからはじまる。1925年5月2日の新聞広告によって、このクルマを正式に「ファントム」と認めている点も面白い。ロイス自身がこのモデルを気に入っていなかったという記述を見ると、これほどまで長く継承されるモデルになるとは当時誰も想像せず記録も残さなかったのであろう。
ファントムIIは排気量が7670ccまで拡大され、最高速度は92mph(約148km/h)を誇り、1929年から1935年までで1675台が販売された人気モデルとなる。シリンダーをクロスフロー化し、混合気の流れをなめらかにしよりパワフルになるとともに、エンジンとトランスミッションが一体化され剛性を高めたのも、このモデルからである。ロイスによる飽くなき改良が施されたのもこのモデルまでで、ロールス・ロイスを取り巻く自動車業界はパワー競争の時代へと突入してゆく。次回は、ロイスが亡くなった後の時代を追っていきたい。