オリジナルカウルのマスターモデルを使用したR380
このロッキー 2000GTのオープンモデルは、2025年の東京オートサロンにも、ロッキーオートのブースに登場していたのだが、その隣にはもう1台、注目を浴びたレプリカモデル(こう呼んでいいかは意見の分かれるところだが)が並んでいた。
それが1966年の日本グランプリで細谷さんがドライブしたトヨタ 2000GTを抑えて1-2フィニッシュを決めたプリンス R380を再現した「ロッキー R380」だ。ロッキー 2000GTの場合はオリジナルを計測したデータを基にボディを再現したようだが、R380の場合はオリジナルカウルのマスターモデルを使用していたのだ。
スカイラインの産みの親として知られる桜井眞一郎(櫻井眞一郎)さんはプリンスR380の設計開発も手がけており、エス・アンド・エス エンジニアリング時代には自らレプリカも製作していた。そんなR380のカウルのマスターモデルが思わぬ展開からロッキーオートの渡辺喜也代表のもとに届けられたことからロッキーオートのプロジェクトがスタートした。
マスターモデルが手に入ったとしても、これはカウルワークだけで、シャシーやエンジンを手に入れる必要があった。そこでロッキーオートがとった作戦が、レーシングカーのシャシー/エンジンを流用すること。選ばれたのは無限エンジンを搭載したF3マシン。
ただし桜井さんがR380を設計開発する際に「お手本」にした旧いブラバムと異なり、近年のフォーミュラではモノコックの背中にガスバッグを包み込んだカーボンモノコックが主流となっており、コクピットの背後にエンジンを背負うR380とは基本パッケージが異なっている。
そのせいもあって、直6を搭載していたR380に対して、エンジンの全長が短い直4の無限エンジンを搭載しているにもかかわらず、エンジン/トランスミッション/デフ、そしてリアタイヤまでの距離が長くなり、オリジナルのR380に対してボディ後半が少し長くなってしまった。それでも公道を走らせるためにナンバーを取得したのは流石ロッキーオート。2作目以降のモデルではオリジナルのモノコックに6気筒/4気筒のエンジンが選べるように、と渡辺代表は次なるプロジェクトを語っていた。
それにしても、1966年の日本グランプリで相対したプリンス R380とトヨタ 2000GTが、というかそのレプリカモデルがこうして2ショットに納まったあたり、東京オートサロンの大きな魅力となっただろう。