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ロールス・ロイス初のチーフテスター「エリック・プラットフォード」はどんな人物? 大西洋横断初飛行にも貢献した陰の立役者を紹介します

投稿日:

TEXT: AMW  PHOTO: Rolls-Royce Motor Cars

プラットフォードが支えた大西洋横断初飛行

第一次世界大戦中、プラットフォードはロールス・ロイスのV12イーグル航空エンジンのテストを担当した。1919年、4つのチームが大西洋横断初飛行の準備を進めており、そのすべてが同社のエンジンを使用していた。ロイスはプラットフォードを出発地点に派遣し、ナビゲーターのアーサー・ウィッテン・ブラウン中尉を従えたジョン・アルコック大尉が操縦するヴィッカース・ヴィミーに2基のイーグルエンジンを取り付ける作業の監督を任せた。

そして、6月14日午後1時45分頃、アルコックとブラウンは離陸し、東へ向かった。悪天候に見舞われ、無線機、インターホン、暖房を失うなど、困難な旅を経て、彼らは翌日午前8時40分にアイルランドのゴールウェイ州に上陸した。彼らは英雄として讃えられ、ロールス・ロイスのエンジンはその後「世界最高」と称されるようになった。

機内には、プラットフォードからクロード・ジョンソンに宛てたエンジンの仕事に関する手紙があった。この手紙は、米国郵政公社が配達した最初の大西洋横断航空便となり、現在もサー・ヘンリー・ロイス・メモリアル財団のアーカイブに、フランク付きの封筒とともに保管されている。プラットフォードはその後何度も大西洋を渡り、マサチューセッツ州スプリングフィールドにある製造工場での試験工程を監督した。

プラットフォードの卓越した貢献と最後の瞬間

1920年代から1930年代にかけて、プラットフォードはダービーにあるロールス・ロイスの主要工場で、自動車と航空エンジンの両方の生産に関するテストと品質管理を担当した。社内で最も尊敬され、信頼されるメンバーのひとりとして、彼はしばしば、各国の王族を含む来賓を工場見学に案内した。

プラットフォードは1938年11月20日、航空省での会議を終えた直後に急死した。享年55歳だった。ロールス・ロイスの社内誌『The Spanner』に掲載された彼の追悼記事には、生来の人柄の良さと優れた技術力、そして共に働くすべての人々から得た忠誠心と尊敬の念に対する賛辞が記されている。プラットフォードは、その卓越したドライビングスキル、テストおよび開発の専門知識、そして時代を決定づけたレースでの功績を通じて、ロールス・ロイスの初期の成功に、上級管理職以外の誰よりも貢献した人物であった。

AMWノミカタ

ロールス・ロイスの歴史の中ではチャールズとヘンリーに注目が行きがちだが、彼らの仕事を支えたプラットフォードのような実直に仕事をこなす人物がいたからこそ今日の名声が得られたと言っても良いであろう。

ロイスとプラットフォードの関係は、信頼関係を超えて真の友情にまで及んだという。20歳年上のロイスは、プラットフォードが知らない父親の役割を果たし、プラットフォードはロイスの知らない息子の役割を果たした。プラットフォードがミニー・ホーキンスと結婚した際、ロイスは2人の新婚旅行に自家用車を提供したというエピソードが残っているくらいに信頼された従業員であったことが伺える。

ヘンリー・ロイスの名言「あらゆることにおいて完璧を目指せ。最高のものを選び、それをさらに良くせよ。もし存在しないなら、設計せよ」の最も矢面にたったのがプラットフォードであり、彼の果たした役割は大きい。

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