黒メタ&緑アルカンターラの超絶シックなカラーコーデ
ランチア デルタS4における本命、グループB仕様の最高出力は450psとされていたが、ホモロゲーション用量産モデルのツインチャージャーエンジンは最高出力250ps/6750rpm、最大トルク292Nm/4500rpmを発生。このパワーは5速マニュアルギアボックスを介して4輪に伝達され、前後トルク配分は30:70であった。
レーシングバージョンと「ストラダーレ(ロードバージョン)」は可能な限り類似させることを意図していたが、デルタS4 ストラダーレには高価格への説得力を持たせるべく、より防音性の高い豪華なコクピットが与えられる。ザガートがデザインした2つのシートは、ドアパネルとヘッドライナーと同様にアルカンターラで張られていたほか、パワーステアリングとエアコンも装備されていた。
グループBホモロゲーションのために200台を生産、その大半をストラダーレとして市販する予定ではあったものの、037ラリーをさらに上回る高価格のせいか、デルタS4 ストラダーレは商業的成功を得ることなく、1985年から1990年にかけてわずか71台が販売されたのみであった。経済的な理由から、生産された残りの車両は破棄されたか、高額な保証費用を避けるために部品として売却されたようだ。
このほどボナムズ「LES GRANDES MARQUES DU MONDE À PARIS 2025」オークションに出品されたランチア デルタS4 ストラダーレは、1985年に生産された個体。シャシーナンバー「0017」で、エンジンナンバー「0059」。ストラダーレ版のボディ架装を受託していたカロッツェリア「サヴィオ(Savio)」のシリアルナンバーは「3032」で、1987年8月4日に、ジャガーによるレース活動でも知られる「クームズ・オブ・ギルフォード(Coombs of Guildford)」社を介して、新車として初代オーナーに販売された。請求書の原本によって確認されたところによると、当時の価格は4万4442ポンドだったとのことである。
ボディカラーは、濃赤が多数を占めるS4 ストラダーレではとても珍しい「ネロ・メタリッツァート(黒メタリック)」で、「ヴェルデ(緑)」というこれまた珍しい色のアルカンターラ内装が施されていたが、これらはすべて新車時からの純正コーディネートという。
愛情深いオーナーに愛されてきた1台
その後ジャン・クリスチャン・G氏なるフランス人に譲渡され、1990年にフランスに輸入されたものの、当時のデルタS4は「Service des Mines(フランスのホモロゲーション・サービス)」にとって未知のモデルであったため、正規のナンバー登録には2年を要した。そのため、このファイルには、G氏、Serves des Mines、ランチア/フィアットの各事務所の間で交わされた、フランスで登録するための多くのやり取りが含まれている。最終的にデルタS4が1992年10月26日付にてフランス国内で登録されたのは、車両に添付されて引き渡されるファイルに含まれていた「DGM 51831 OM」ホモロゲーション書類のおかげであったという。
そして現在のオーナーはジャン・クリスチャン・G氏の友人で、2000年から四半世紀にわたりこの個体を所有し、暖房の効いたガレージに保管しているとのこと。現在の走行距離は5600kmほどに過ぎないが、最新の点検整備が施されており、当カタログの撮影のためにも走行を披露している。
また、フランスでの登録書類(Carte Grise)、2つのスペアキー、取扱説明書、ウォレット、スペアパーツカタログ、純正ツールキット、クロモドラ社製純正スペアホイール、ジャッキなどのオリジナルアクセサリーもすべて付属していたとのことだった。
1985年に製作されて以来一度も改造されることなく、再塗装も施されていない。愛情深いオーナーに愛されてきた、このデルタS4 ストラダーレに、ボナムズ社は48万ユーロ〜68万ユーロ(邦貨換算約7680万円〜約1億880万円)という、なかなか強気のエスティメート(推定落札価格)を設定していた。
そして2025年2月6日、パリ「グラン・パレ・ヒストリーク(Historique du Grand Palais)」にて行われた競売では順当にビッド(入札)が進み、終わってみれば62万6750ユーロ。つまり現在のレートで日本円に換算すれば、約1億20万円という驚きの高価格でハンマーが鳴らされたのである。







































































































