元ワークスカーというヒストリーを持つ2000コルサ
アバルト シムカ2000では、185psのエンジンを搭載し、いくらかの快適装備を施したホモロゲート用「2000GT」と、主にワークスチームに供用するために204psのエンジンを搭載した「2000コルサ」が少数製作された。今回、RMサザビーズ「MILAN 2025」オークションに出品されたのは、かつてワークスカーとして卸された2000コルサだ。
シャシーNo.は「136 0046」が振り分けられ、1964年1月9日に「Abarth & C. S.p.A」名義で初登録。ほかのアバルトワークスカーと同様、トリノの登録番号「TO 596033」が交付された。これはオリジナルの登録証明書に記載されている内容である。
いっぽう、アバルト シムカ2000というモデルがFIAホモロゲーションを獲得したのは1963年12月30日であることから、このシャシーNo.「136 0046」は、アバルト シムカ2000コルサとしてはもっとも早い時期に製作された1台と見なされているという。ただし、その初期の歴史についてはほとんど知られていないものの、1964年6月14日にオーストリアのメインツ・フィンテン空港で開催されたレースに参加した際の写真が残されている。
ちなみに、すでに周知されている姉妹ワークスマシンは、もう少しあとに交付されたトリノナンバー「TO 622651」および「TO 622652」で登録され、1964年のスポーツカーレースシーズンを通じて活用された。ところがほかのワークスマシンと同様に、シャシーNo.#0046は1965年に引退したあと、アバルト& C社によって売却。直後に登録抹消されたため、その行方は追跡が困難となってしまう。
ジョン・デ・ボーア編の「イタリア・カー・レジストリー」によると、このシャシーNo.#0046は1991年の「モストラ・パドヴァ(Mostra Padova)」展(現在の「アウト・エ・モト・レトロ」の前身)に出品されている。その当時はフィレンツェのマウロ・ロッティなる人物が所有していたとのことである。ロッティ氏は、アバルトやアルファロメオのクラシックレーシングカーのスペシャリストとして知られていたジャンカルロ・フェッリを介して、この2000コルサを手に入れたとされている。














































































