北海道から駆けつけた1965年式日産シルビア
2025年6月1日、東京都武蔵村山市のプリンスの丘公園で「第4回プリンスの丘 自動車ショウ」が開催されました。全国から約150台の日産車が集結し、初代モデルの誕生から60周年を迎えたシルビアを記念するトークショーと15台の歴代展示が大きな話題になりました。なかでも注目を集めたのは、1965年式の日産「シルビア(CSP311)」を北海道から自走で持ち込んだオーナー・村上禎衡さん。職人の手作業が生んだ端正なボディと、希少なCSP311を愛情深く守るオーナーの姿に、多くの来場者が魅了されました。
職人の手作業が生んだ国産車離れしたデザイン
初代シルビアのルーツは、1964年の東京モーターショーで発表されたダットサン クーペ1500だ。そのネーミングからも推察できるように、フェアレディ1500(SP310)の基本コンポーネンツを用い、そこにエッジの効いた端正なクーペボディを組み合わせた。
「クリスプルック」と呼ばれた、その国産車離れしたデザインは、BMW 507を手がけたドイツ人デザイナー、アルブレヒト・ゲルツのアドバイスを受けて完成させたとされる。量産プレス機では出せないシャープなボディラインは、日産系車体メーカー、殿内製作所(現・トノックス)の熟練工たちの手作業によって作られた。
ダットサン クーペ1500は、ショーの翌年である1965年に日産シルビア(CSP311)と命名され、市販が開始された。そのベースとなったのは、排気量が100ccアップされたフェアレディ1600(SP311)だ。価格はブルーバードのほぼ2倍となる120万円と、当時としては非常に高価なクルマだった。
遠路はるばる北海道から参加!大洗から武蔵村山まで自走
生産台数はわずか554台といわれる希少な初代シルビアだが、会場には10台のCSP311が展示されていた。いずれも素晴らしいコンディションで、オーナーたちの並々ならぬ情熱が伝わってくる。
そのなかで目を引いたのが、札幌ナンバーを掲げた1台だ。遠路はるばる北海道からの参加かと尋ねると、オーナーの村上禎衡(むらかみよしひで)さんはこう話してくれた。
「今回はシルビア生誕60周年という節目なので、仕事の都合をつけて北海道から来ました。苫小牧から大洗(茨城県)までフェリーに乗って、そこからこの会場(東京都武蔵村山市)まで自走です。1965年(昭和40年式)なので、デビューイヤーのモデルです。実際に作られた時期は1964年(昭和39年)かもしれません。いずれにしても、最初期に生産された個体だと思います」
ドナーを複数台購入して状態の良い部品を移植して1台に仕上げた
「昔からクルマもバイクも好きで、若い頃から50台以上乗り継いできました」と村上さん。
このシルビアを手に入れた時は、ボディと内装まで仕上がっているレストア途中の状態だった。その後、部品取り車を複数台手に入れ、状態の良いパーツを組み合わせながら時間をかけて少しずつレストアを進め、現在の状態まで仕上げたそうだ。
「普段からパーツ類は集めていますが、程度の良い状態を維持するのには苦労が絶えません」
しかし、数多くのクルマとバイクを乗り継ぎ、たどり着いたCSP311と濃密な時間を過ごす村上さんにとっては、そんな苦労すらも大きな楽しみに変えているようだった。


































































