ポール ニューマンも愛した希少な「1967.5年モデル」!? 北米を席巻したスポーツカーの現在地
トヨタ 2000GTや日産 フェアレディZ、C10系スカイラインなどの日本車が、欧米のクラシックカー市場ではいまや人気を博しています。さらに近年では、これまで海外の愛好家の目に留まっていなかったモデルにも急速にスポットライトが当たっているようです。今回はアメリカのオークションに出品され、驚愕ともいえる高額で落札された1967年式「ダットサン 2000スポーツ(日本名:フェアレディ2000)」にスポットを当て、その歴史と今回の高額落札の理由を探ってみましょう。
アメリカで受け入れられた日本製初のスポーツカーメーカー「DATSUN(ダッツン)」が市場に浸透
今回俎上に載せるのは、2026年3月7日にアメリカ合衆国の「ブロードアロー・オークションズ」社が、フロリダ州のコンクール・デレガンスに付随するかたちで開いた大規模オークション「アメリア・アイランド2026」セールスに出品されたダットサン 2000スポーツ(SRL311)だ。
日本の自動車メーカーが北米市場で本格的な存在感を示す何年も前から、日産 フェアレディSP/SRシリーズ、アメリカでいうところの「ダットサン スポーツ」は、アメリカの公道やレーストラックで注目を集めていた。
もともとは外貨を稼ぐ北米専売モデルダットサン 1000スポーツ(S211)として、1959年に発売。翌年にはダットサン 1200スポーツ/日産 フェアレデー(SPL212)へと進化した第一世代に代わる次世代モデルとして、日産 フェアレディ1500(SP310)およびダットサン 1500スポーツ(SPL310)が1961年の東京モーターショーにて発表された。アメリカやヨーロッパで同時代につくられていたライバルたちに比べ、信頼性と手頃な価格を兼ね備えた代替車として、やはり北米マーケットを中心に提供されたのである。
排出ガス&安全規制前の希少な「1967.5年モデル」はローウィンドウでスパルタンなコクピット
1965年には新世代の「R」型直列4気筒エンジンに換装した日産 フェアレディ1600(SP311)およびダットサン 1600スポーツ(SPL311:Lは左ハンドルの意味)へと進化する。
そして1967年に追加発売されたSP/SRの最終進化形、日産 フェアレディ2000(SR311)は、当時の日本のスポーツカーにおいて一種の「神器」とも言えたミクニ・ソレックス製デュアルキャブレターを標準装備(輸出用SRLは、排気ガス規制などによりSUツインキャブレターで125馬力仕様)し、145馬力を発揮した。これが先達である英国製ライトウェイトスポーツカーにも望み難いハイパワーを誇る「U20型」2000cc SOHC直列4気筒エンジンと組み合わされ、当時の若者やレーサーたちを熱狂させた。
また、前輪のディスクブレーキに独立コイルスプリング式のフロントサスペンション、深めのバケットシートなどの本格的スポーツ装備が与えられていた。さらには、当時の量産車では珍しいスポーティな5速マニュアルトランスミッションが搭載されるなど、ダットサン ダットサン 2000スポーツ(SRL311)にはさらなる活気がもたらされたのだ。
輸出用の左ハンドル車としてSRL311なるコードネームを与えられたこの世代のダットサン 2000スポーツは、高性能なライトウェイトスポーツカーとして大市場アメリカでも受け入れられてゆく。そして、ハリウッドのスーパースターにしてレーシングドライバーとしても輝かしい実績を挙げたポール ニューマンをはじめとする、モータースポーツ志向のドライバーたちを惹きつけることになった。
日産は北米向けダットサン 2000スポーツを、1967年3月から11月にかけて約700台を生産したとされる。ところが、翌年にはアメリカの排出ガス規制と安全基準の変更が導入されたことにより、ダッシュパネルのパッドを追加し、ウィンドスクリーンも高くした1968年モデルへと移行する。そのため、高出力なU20型エンジンと5速MTという最強のメカニズムを持ちながら、安全基準変更前の「もっとも純粋で美しいクラシックスタイル」を保っている最後のモデル、通称「1967.5年モデル」が、現在のクラシックカー界においてはSRL311シリーズ中もっとも希少価値の高い存在となったのである。

































































































