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ラリーストのコリン・マクレーが愛用したGC8がまさかの流札で「WRCのスバル神話」は!? 奇跡の個体へ向けられた冷徹評価の理由

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TEXT: 山崎真一(YAMAZAKI Shinichi)  PHOTO: iconicauctioneers  FACT CHECK: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)

マクレー家が愛したスバル「インプレッサ」が流札という結末を迎える

FIA(国際自動車連盟)が主催するF1(フォーミュラ1)、WEC(世界耐久選手権)と並ぶ世界三大モータースポーツのひとつに数えられるWRC(世界ラリー選手権)。その50年以上におよぶ歴史のなかで、日本車を代表する存在として今なお世界的に高い知名度を誇るのが、初代となるスバル「インプレッサWRX(GC8)」である。英国で開催されたオークションに、スバルファンにとって特別と呼ぶにふさわしい奇跡の来歴を持つ1台が出品された。伝説のドライバー一族が愛した名車が刻んだ、意外なオークション結果のドラマをお届けする。

欧州市場で絶大な人気を獲得! WRC制覇の使命を背負った初代「GC8」

ヨーロッパにおいて、スバルを象徴するエポックメイキングなクルマとして真っ先に名前が挙がるのは、間違いなく初代のGC8型インプレッサだろう。スバル「レガシィ」に続く世界戦略車として開発されたCセグメントカーであるのと同時に、当時過熱の一途をたどっていたWRCを制覇するためのホモロゲーションモデルという重要な役割も担っていた。

ラリーで勝利を重ねることで、ヨーロッパ市場における知名度向上を図る。それがインプレッサに課せられた使命であった。そして、その狙いは見事に的中する。1995年から1997年まで3年連続でWRCマニュファクチャラーズタイトルを獲得したことで、インプレッサの名前は広くヨーロッパ全土へ浸透。スバルブランドの認知度向上はもちろん、販売台数拡大にも大きく貢献した。

WRC参戦ベース車両であり、シリーズのイメージリーダーカーでもあったスバル「インプレッサターボ2000 AWD(日本名:WRX)」がイギリスに導入されたのは、日本での発売から約1年半遅れの1994年3月のことだ。

前年10月にWRCに投入され、デビュー戦で2位を飾る好成績を残した実績に加え、フォードが高性能4WDモデルの代名詞であったコスワースシリーズの生産終了を発表したことも追い風となり、マーケットは日本製の高性能4WDスポーツモデルの登場を歓迎した。

ただし、英国仕様の最高出力は日本国内の240psに対し、208bhpと低く抑えられていたのが特徴だ。アプライドG型(年次改良区分。国内はA型~G型まで存在し、C型のみC1型とC2型として区別されていた)と呼ばれる最終型でも215bhpにとどまっている。

マクレー家が3年間愛用! 伝説のWRCドライバーたちのサインが残る極上車

2026年3月20日〜21日、英国・バーミンガムで開催されたトレードショー「The Classic Car and Restoration Show 2026」の一環として行われたアイコニック・オークショニアーズの会場に持ち込まれたインプレッサターボ2000 AWDは、1996年登録のアプライドCII型だ。

登録からすでに30年の時が経過しているが、スピードライン製ホイールを装着する以外、当時のままの美しい佇まいを維持している。退色しやすいアクティブレッドのボディカラーは鮮やかな輝きを保ち、オリジナルのシートやステアリングなど内装にも擦れや傷みが少ない。長年にわたって大切に保管されてきたことがうかがい知れるコンディションだ。

走行距離は約9万2000マイル(約14万8000km)に達しているものの、2022年8月にエンジンのオーバーホールが実施されている。さらにブレーキのリフレッシュ、純正新品マフラーへの交換など機関系にも広く手が入っている。単にガレージに収めて眺めるだけでなく、WRCを制覇した卓越したハンドリングと高い動力性能をフルに堪能できる動態保存車である点も、この個体の大きな魅力だ。

しかし、このクルマの本当の価値は、良好な車両状態以上にその特別な来歴にある。1996年1月に英国で登録された後、この個体はプレスカー(メディアに貸し出すテストカー)として、スバルの顔として数多くのメディアへ貸し出され、その性能を広くアピールしてきた。

その役目を終えると、英国でラリードライバーの名門として知られるマクレー家へ譲渡され、1999年までプライベートカーとして愛用されたのだ。

スバルファンなら「マクレー」という名前を聞いただけで特別な意味を感じるはずだ。1995年にインプレッサWRXを駆り、スバルに初のWRCドライバーズ&マニュファクチャラーズタイトルをもたらした伝説のドライバー、コリン・マクレー(2008年に死去)がステアリングを握ったクルマと聞けば、興味を抱かずにはいられないだろう。

しかも、運転したのはコリンだけでなく、父のジミー・マクレー、さらに一時期コリンと同じくスバルワールドラリーチームに加入していた甥のアリスターもドライブしている。その証として、運転席と助手席のサンバイザーには、ジミー、アリスター、そしてアリスターの息子で現役ラリードライバーであるマックス・マクレーの直筆サインが描かれている。まさにスバルファンはもちろん、ラリーファンにとって垂涎の1台と呼ぶにふさわしい存在だ。

エスティメートは約278万円から! 奇跡の来歴を持つ個体がまさかの流札の理由とは!?

今回のオークションでは、こうした歴史的な背景を考慮して、1万5000ユーロ~2万ユーロ(邦貨換算約278万円~約370万6000円)というエスティメート(推定落札価格)が設定されていた。しかし、残念ながら入札は伸びることなく、ハンマープライスが打たれることはなかった。

この結果を見ると、参加したコレクターたちにその来歴の価値が十分には理解されなかったのではないだろうか。もし単なる「やや走行距離が多めの標準的なインプレッサ」であるとか「ボディカラーがスバルブルーではない」として評価されていたのであれば、このエスティメートが「高い」と判断されても不思議はない。

しかし、もし熱狂的なスバルファンやWRCファンの多い日本でオークションが開催されていたとしたら、確実に希望価格を上回って落札された可能性は十分にあったはずだ。スバルとWRCの黄金時代、そしてマクレー家の魂を知る者たちにとって、この1台が放つロマンと歴史的価値は計り知れないものだからである。

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  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 1960 年生まれ 大学卒業後ベストカーガイド編集部勤務。1990年オートスポーツ誌に転職、1992年F1速報誌(アズエフ)編集長。1995年月刊ビデオマガジン編集部に転職、1996年ベストモータリング編集長(のち局長兼務)。2005年ネコパブリッシング・イベント本部長/4輪編集局長兼務。2015年交通タイムス社に転籍、2020年より現職(総編集局長)自動車の分野に問わずオールマイティだが、特に旧いモータースポーツとクラシックカーに造詣が深い。愛車は1969年DATSUN Fairlady SRL311/YAMAHA RD250ほか

 

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