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スズキ「X-90」は「カプチーノ」と「エスクード」を足して2で割ったクルマだった!? 1348台しか販売されなかったレア車とは【カタログは語る】

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

パーソナル感とオープン感を両立したTバールーフ

もちろん外装はX-90専用。丸みを帯びたスタイリングということでは1994年にトヨタから登場の初代「RAV4」があるにはあったが、X-90は2シーターと割り切り、トランクは独立させた形状にするなどかなりのユニークさをアピールしていた。

そして見せ場はなんと言っても脱着式のガラスルーフを採用したTバールーフ。ガラスルーフは左右個別にレバー操作で簡単に脱着ができ、外したルーフは専用のケースに入れてトランクに格納するようになっており、2つのノブで固定と取り外しが可能なサンシェードも備えた。

リアウインドウは固定式ながら熱線プリント入りのガラス製で、「4×4オープン2シーター」がうたい文句のX-90ならではの開放感、パーソナル感が味わえる室内空間だった。

なおインパネは1994年に2LのV6が登場した際に一新されたエスクードのそれと基本的に共通で、MTとATとで異なるシフトまわりのコンソール部分もエスクードに準じたデザインを採用していた。

4年間の総販売台数はわずか1348台

ところでスズキのオープンモデルというと、軽自動車の「カプチーノ」(1991年)、「カルタスコンバーチブル」(1992年)などがあったほか、X-90のベースになったエスクード(1988年)にも当初から幌タイプのコンバーチブルが用意された。それよりも前、「ジムニー」にはキャンバスドアや、フロントウインドウを倒せるハーフメタルドアといった仕様もあった。そう考えると、スズキは案外とオープンモデルの経験、こだわりがあったブランドだということがわかる。

そうした流れで登場したX-90だったが、発表当時のスズキは月間の国内販売目標台数をエスクードシリーズと合わせて3000台としていて、エスクードに対して圧倒的に希少車だったことは想像に難くない。少なくとも筆者自身、これまでに街中で見かけた記憶、経験は1、2度あったかどうかだ。ある意味で時代を先取りしすぎたクルマだったのかもしれない。

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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
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