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610馬力の「EB110」を引っさげブガッティ復活! 牽引したのはひとりの男の壮大なビジョンでした【ブガッティ・ヒストリー_02】

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: Bugatti Automobiles S.A.S.

他社にエンジニアリングを提供するビジネスも視野に入れていた

EB110をデビューさせたのちのブガッティ・グループは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いを見せていた。1993年にはアクティブ・サスペンション技術などのテクノロジーを持つ英国の名門ロータス・カーズ社を買収。また、マテラッツィ技師の上位にあたる技術責任者として、フェラーリ出身の名匠、マウロ・フォルギエーリ技師を招聘した。

歴史の浅いブガッティ・アウトモービリ社には、EB110を当時最高の技術の結晶とせねばならない理由があった。アルティオーリが真に目論んでいたのは、ポルシェやロータスのように、グループとは関連を持たない世界各国のメーカーのエンジニアリングを請け負うこと。ブガッティ・ブランドのみならず、他社にエンジニアリングを提供するビジネスを展開する目的があるとされていたのだ。

実際、ブガッティのエンジニアリング部門は短い活動期間ではあったものの、その成果は決して少ないものではなかった。例えば、公式には発表されてないが、ロータス「エスプリ」に搭載されたV8ツインターボエンジンは、カンポ・ガリアーノ本社にてアウトラインが描かれたもの、というのがわれわれスタッフの共通認識であったほか、ロータス「エリーゼ」に近いサイズ感を持つライトウェイト・スポーツカーのスケッチも、筆者自身が1993年12月の段階で、カンポ・ガリアーノ本社チェントロスティーレ内のスタジオにて目撃している。

しかしブガッティの夢の綻びは、その以前からすでに始まっていたようだ。1992年の末頃からようやく正式なデリバリーが開始されていたEB110は、標準型に相当するGTと高性能版SSの2本立て。販売価格は日本国内で4980/6120万円(その内1000万円はパッケージ保証費用)に達する超高級車だったが、驚くほどに高価になってしまった現代のハイパーカーと比べると、むしろリーズナブルに感じられるかもしれない。

一方、ブガッティ復活プロジェクトの発足当初は好況にあった世界各国の経済状態も、この時期には急速に後退しており、EB110の売れ行きは予想を大きく下回ってしまうことになる。例えば日本に正規輸入されたEB110は、9台のGTと2台のSS、合わせて11台に留まってしまったのである。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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