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「ルート66」の旅路で知った「311」の悲劇! 途方に暮れる日々をモーテルの人々が支えてくれました【ルート66旅_42】

「ルート66」の旅路で知った「311」の悲劇! 途方に暮れる日々をモーテルの人々が支えてくれました【ルート66旅_42】

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TEXT: 佐藤 圭(SATO Kei)  PHOTO: 佐藤 圭(SATO Kei)

  • セリグマンの郊外に建つステージコーチ66モーテル。この看板が目に止まったのも何かの巡り合わせだろうか。オーナーであるリサをはじめ、スタッフも本当に親切な人ばかりだ
  • リサと初めて出会ってから数年後、今度はインディアンを購入。ちょうど私がセリグマンを訪れる3日前にフロリダで引き取り、約4000kmの道のりを大急ぎで戻ってきてくれた
  • ステージコーチ66モーテルにはたくさんの趣向を凝らしたスペシャル・ルームがある。写真はリサの故郷ノルウェーをイメージした部屋で、私が長期滞在するときは大抵ここだ
  • 同じ敷地内にはレストラン「ピザ・ジョイント」がある。看板のピザだけではなく各種サンドイッチにパスタ、時期によってはリサの好物であるトラウトや貝といったメニューも
  • ステージコーチとは駅馬車を意味し、看板の後ろには名前どおり古いワゴンが。星条旗と並んでなびくのはノルウェーの国旗で、そのせいかヨーロッパからの旅行者も多く訪れる
  • リサが40年にわたって所有しているSRL311フェアレディ。エンジンやミッションは絶好調だしボディも錆びひとつない。いつも貸してもらい束の間のオーナー気分を味わっている
  • モーテルの経営を委託してセミリタイアした後は、私の地元にも2週間ほど遊びに来てくれた。生き方が本当にカッコよく、リサのように年齢を重ねたいといつも思い続けている
  • ステージコーチ66モーテルはセリグマンの東はずれにある。中心部から少し離れてはいるものの、レストランやバーも併設し敷地から一歩も出ずにのんびり過ごすことが可能だ
  • 2011年3月11日に泊まっていた121号室のキータグ。あるときリサからプレゼントしてもらったので、ここで受けた数々の親切を忘れずに生きるよう肌身離さず持ち歩いている
  • この数時間後に日本から大震災の衝撃的なニュースが届く。アメリカのニュースでも毎日のように大きく報道されたせいで、セリグマンではちょっとした有名人になってしまった
  • かつての上官が亡くなり葬儀に出席した後とのことで、最初で最後に見た軍服姿だった少佐殿。流暢な日本語と飄々とした性格、豊富な経験を活かした助言にはいつも助けられた
  • 夕暮のステージコーチ66モーテルと、目の前を走るルート66。遠くから疲れた身体にムチを打って運転し続け、このネオンが見えたときの安心感は「わが家」と呼ぶにふさわしい
  • ノルウェー出身でアメリカに移住して50年というリサ。バイクの免許を取ったのは50歳を過ぎてからとのことだが、80歳を目前にした現在も毎日のように乗りまわしている

あの日を過ごしたアリゾナのわが家、ステージコーチ66モーテル

広大なアメリカを東西2347マイル(3755km)にわたって結ぶ旧国道「ルート66」をこれまで5回往復した経験をもつ筆者が、ルート66の魅力を紹介しながらバーチャル・トリップへご案内。イリノイ州シカゴから西に向かい、見どころの多いアリゾナ州へ。今回は、「アリゾナのわが家」となっているモーテルでの出来事を振り返ります。

たまたま泊まったモーテルで故郷の悲劇を知る

ルート66復活の地として知られるセリグマン。私が初めて西から東までの全線走破にチャレンジした2011年、この街でたまたま泊まったモーテルでとある事件が起きた。といってもアメリカでの話ではない。忘れもしない3月11日の東日本大震災だ。

サンタモニカから東を目指し旅を始めた序盤、セリグマンに到着したのは夕方の16時ごろ。街はずれに建つモーテルの看板があまりにもカッコよく、道端にクルマを停め写真を撮影させてもらっていた。それに気づいてオフィスから出てきた女性に声をかけられ、日本から来てルート66を走っていることなどを話し込んだ。どうやら彼女がオーナーで看板に記された「NORWEGIAN OWNED」という表記どおり、ノルウェーからの移民でほとんど廃墟だったモーテルを買い取って再生させたらしい。

いつしか太陽はだいぶ西へ傾き、若干ながら小腹も空いてきた。敷地内に同じく彼女が経営するレストランもあり、宿泊したい旨を伝えるとなんと今日がバースデーで、夜にパーティーをするからアナタも参加しなさいと。いわゆる社交辞令かと思ったが食事をしようとレストランに行くと、昼間も会ったエンジェルさんの一族をはじめとするセリグマンの人々、そして私たちと同じような宿泊客が集まっており宴の始まる直前だ。

いわゆる個人旅行で泊まるような日本人は少ないらしく、遅くまでテキーラを飲みながら話に花を咲かせ解散。部屋に戻ってシャワーも浴びず寝ようとしたところ、インターネットで衝撃のニュースが飛び込んでくる。

私の自宅から近い仙台空港に津波が押し寄せる映像で、当然ながら家族や友人とはまったく連絡が取れない。さらに原発事故の報道やSNSで飛び交うデマも多く、生まれて初めてどう行動すればいいのか途方に暮れた。本来は1泊だけでシカゴに向けて発つはずだったが、セリグマンから帰国便に乗るロサンゼルスまで約6時間、おまけに宿泊代も食事代も大都市よりリーズナブルだ。

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