伝説のレーシングマシンがオークションに登場
2025年2月1日にRMサザビーズがドイツ・シュトゥットガルトで開催したオークションにおいて、メルセデス・ベンツ「W196R」が出品されました。同車は、ファン・マヌジェル・ファンジオが1955年のブエノスアイレス・グランプリで優勝。同年のイタリア・グランプリではスターリング・モスがファステスト・ラップを記録した1台です。
驚愕の落札価格に驚きが隠せない!
最終的な入札価格、すなわち落札価格に5115万5000ユーロ(邦貨換算約81億8480万円)という数字が表示された時の感情を、どのように表現したらよいのだろうか。それは2025年2月1日にドイツのシュツットガルトで開催された、1954年式のメルセデス・ベンツ「W196R」のハンマープライスである。
このエアロダイナミクスを意識したストリームライナー(流線型)・ボディを持つ、シングルシーターのグランプリレーサーは、1955年のシーズン終了時に4台が寄贈されたことが確認されており、かのファン・マヌジェル・ファンジオも1955年のブエノスアイレス・グランプリで優勝。同年のイタリア・グランプリではスターリング・モスがファステスト・ラップを記録した1台でもある。
伝説ともいえるレーシングカーの価値を決める際には、あらゆる角度からそれを評価することが必要だと、今回この1台のみの出品というオークションを開催したRMサザビーズは語る。W196Rならばデザインやエンジニアリング、そしてコンディションはもちろんのこと、レースでの実績、勝利数、ドライバーなどあらゆる要素が考慮される。そして彼らがこのW196Rに与えた称号はダイアモンド。その独特なカットの面のすべてが、見る者の言葉を失う魅力、そしてクオリティを、この1台は持ち合わせているのだと彼らは絶対の自信を持つ。
ここではすべてを書けないほどの物語がある
「0009/54」のシャシーナンバーが与えられたこのモデルの物語は、しかしながらこれで終わるわけではない。それは単なる機械の物語で終わるのではなく、それに関係した人々の物語でもあるのだ。ロンドン生まれのドイツ人エンジニア(ルドルフ・ウーレンハート)は、小説の1ページから抜け出してきたかのような独特の厳格なプロセスを貫き、アルゼンチン人レーシングドライバーのベテラン(ファン・マヌエル・ファンジオ)は、ドライビングの頂点と世界的な名声に近づきつつあり、英国の若きドライバー(スターリング・モス)は、将来に英国王からナイト爵位を授けられるほどの腕前を持ち、食品販売で成功したアメリカ人実業家(レーシング・デパートメント)は、ガソリン・アレイに投資し、ブリックヤード=モータースポーツの聖地、インディアナポリスで勝利を手に入れた。残念ながらその物語のすべてを記すには、ここでのスペースはあまりにも少なすぎるというのが実際のところだ。
話は若干前後するが、メルセデス・ベンツは1955年にル・マン24時間で関連した事故の責任を負い、ラリーを除いてはワークス体制によるモータースポーツ活動からの撤退を決定。彼らが非公式ではあるが再びサーキットへと戻ってくるのは、スポーツカーレースがグループC規定へと変更された1980年代に入ってからだった。1985年にエンジン供給を行ったザウバーがそれである。ワークス体制での復帰は1988年。じつに1955年以来、メルセデス・ベンツは正式にサーキットに戻ったのだ。
>>>Gクラスを特集したメルセデスの専門誌「only Mercedes」のvol.222を読みたい人はこちら(外部サイト)








































































































































