クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • フェラーリ「512BBi」が激安約1825万円で取引!走行約3万8600kmだったがケーニッヒ・チューンが仇となったのか
CLASSIC
share:

フェラーリ「512BBi」が激安約1825万円で取引!走行約3万8600kmだったがケーニッヒ・チューンが仇となったのか

投稿日:

TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: Bonhams

ケーニッヒ・スペシャルズ社によるコンプリートチューンドカー

ボナムズ社のオークションに出品されたフェラーリ512BBiは、1983年にマラネッロ本社工場をラインオフした個体だ。かつての西ドイツ・デュッセルドルフに2002年まで存在した元フェラーリ正規ディーラー「オート・ベッカー(Auto Becker GmbH)」社へと新車として引き渡された直後、ヴィリー・ケーニッヒさんによってチューニングと大幅な改造が施された。

ケーニッヒさんは1962年に「250GTベルリネッタSWB」を駆ってドイツ「ベルクマイスター(山岳ヒルクライム選手権)」を制したこともある元レーシングドライバーである。彼の興した会社「ケーニッヒ・スペシャルズ(Koenig Specials)」は、フェラーリを端緒にヨーロッパ各国のさまざまな高級車ブランドの愛好家たちをターゲットに、ド派手なエアロパーツの開発・販売を行っていった。

ケーニッヒ・スペシャルズのフェラーリBB用アップグレードパッケージは大きな成功を収めた。ヴィリー・ケーニッヒさんの息子であるヴァルター・ケーニッヒさんの証言によれば、自社工房内で20~30台のコンプリートカーが製作された。これらの車両には、ケーニッヒ社により専用ピストンとカムシャフト、排気システムなどの改造・強化が施された。512BBiエンジンでは標準の340psから450psまでパワーアップすることに成功していた。

このオークション出品車は、のちにドイツから米国へと輸出され、ニューヨーク州ウェイディングリバー在住の愛好家、ジェラルド・ロンバルディさんが所有していた。その後、現オーナーが手に入れた当時には、英国国内に現存する5台のうちの1台とされていた。

オドメーターのマイレージは2万4000マイル強(約3万8600km)を表示している。過去10年間は暖房完備のガレージで保管されていたことが確認されているが、再び走行させるには一定のメンテナンスおよびリペアが必要となる。休眠期間を考慮し、エンジンの始動試行は行われていない。しかし、電気系統はすべて作動し、ポップアップ式ヘッドライトのアクチュエーターも正常に機能すると申告されている。

流札……そして相場を下まわるプライベートセール

ケーニッヒ・スペシャルズ社は現在でも存在し、フェラーリ向けのチューニングパーツやアクセサリーの販売は継続しているが、コンバージョン事業からは撤退している。そのため、この512 BBiはケーニッヒの伝説的なコンプリートスーパーカーを入手できる稀有なチャンスである。ボナムズ社はそうアピールしつつ、10万ポンド~15万ポンド(邦貨換算約2000万円〜3000万円)というエスティメート(推定落札価格)を設定した。

しかし、競売では出品サイドが規定した「リザーヴ(最低落札価格)」に到達することはなく、「No Sale(流札)」に終わってしまった。

その後ボナムズ社の営業部門によって個別販売されたそうだが、こういった場合の取引形態の通例にしたがい販売価格は未公表である。ただ、複数の海外クラシックカー専門メディアから得られた情報を総合すると、エスティメート下限を下まわる9万2000英ポンド(邦貨換算約1825万円)で新たなオーナーに譲渡されたようだ。

この非公式な情報を信じるとすれば、この価格はここ数年の国際マーケットにおけるスタンダードのフェラーリ512BBiの相場価格には大きく及ばなかったことになる。その理由が、要メンテナンスであることにあるのか、あるいは好き嫌いが分かれるケーニッヒ・コンバージョン車両であることにあるのかは不明である。しかし、世界一の成熟市場であるイギリスのオークションには向かないタイプの出品ロットであったことも否定できない要因だ。

12
すべて表示
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
著者一覧 >

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS